英語でいえば「Science」である。「科学」。
しかし現象学的に強意され、「究極的な根拠をもつ知識体系」ということで使われる機会が多くなった。
日本人は「まあまあ」の「なあなあ」で、“究極的な意味”や“厳密なモナドロジー”が苦手であるために、ついに西洋哲学をしっかり消化して、活用するということが出来ずに居る。
いわば「消化不良」のまま…なわけだが、その辺をまるでミルクやアルコールに対する「耐性」かのように、近代の偉大な哲学者;木田元はこの「Wissenschaft」が根底から欠如しているからだ、とかつて分析した(1970『現象学』)し、この直感は我々にもしんみり馴染めるものである。