1978年、イギリスバーミンガムで結成されたバンド。
1980年代、 ニューロマンティックという一大ムーブメントの立役者。第二期 British Invasion に含まれる。
1984年にメンバーの脱退やSub projectの活動等があったが、1986年に新生Duran Duran として活動開始。
1990年代に入り、一時の爆発的な人気に陰りがみえるが、地道に活動を続ける
2000年に入り、オリジナルメンバーでの再集結の話が持ち上がり、2003年オリジナルメンバーによる活動を開始。現在に至る。
尚、Duran Duran は、一度も解散はしていない。
1978年、イギリスのバーミンガムにてニック・ローズとジョン・テイラーが中心となりスティーブン・ダフィー(vo)、サイモン・コリー(b)を加えて結成。ジェーン・フォンダ主演のSFカルト・ムービー「バーバレラ」(1968年:ロジェ・バディム監督)に登場する役名からヒントを得てバンド名をデュラン・デュランと決定。
地元でライヴ活動を進めていく中、指向の違いによりスティーブンとサイモンが脱退。
その後、アンディ・ウィケットが新ヴォーカリストとして、さらに、ロジャー・テイラーがドラムスとして加入。ジョンがベースに転向するも、その後も何度もメンバー・チェンジを繰り返す。
1980年、バンドがメロディ・メーカー誌に掲載したギタリスト募集の広告を見てアンディ・テイラーがオーディションに応募、バンドへの加入が決定。同年、バーミンガム大学の学生だったサイモン・ル・ボンも友人の紹介で新ヴォーカリストとして加入。80年10月、ジョン・テイラー、ニック・ローズ、サイモン・ル・ボン、アンディ・テイラー、ロジャー・テイラーの5人でデュラン・デュランとしてステージ・デビューを果たす。
1981年2月、「Planet Earth」(プラネット・アース)でメジャー・デビュー。
1981年6月、デビュー・アルバム『Duran Duran』(デュラン・デュラン)を発売。このアルバムはUKチャートで118週間もの間チャートインした。1981年7月には3rdシングル「Girls On Film」(グラビアの美少女)を発売。Godley & Creme(元10ccのメンバーKevin GodleyとLol Creme)によって撮影された衝撃的なプロモーション・ビデオにより大ブレイク。内容が過激との理由で放送禁止にも。それでも、UKチャート5位を記録したほか日本でも大ヒットを記録。
1982年4月、初来日公演(東京、大阪、名古屋、全5公演)。
Rio World Tour
1982年、2枚目のアルバム『Rio』(リオ)を発売。
同アルバムより「Hungry Like The Wolf」(ハングリー・ライク・ザ・ウルフ)
は、UKチャート5位、「Save A Prayer」(セイヴ・ア・プレイヤー)はUKチャート2位を記録する。
1983年、全米でもデビュー・アルバム『Duran Duran』が発売されシングル・カットされた「Is There Somthing I Should know?」(プリーズ・テル・ミー・ナウ)はUKチャート1位を獲得しただけではなく、全米チャートでも4位を記録。1983年11月、3枚目のアルバム『Seven And The Ragged Tiger』(セヴン&ザ・ラグド・タイガー)を発売。シングルカットされた「The Reflex」(ザ・リフレックス)は全英と全米でチャート1位を獲得した。
この頃、サントリーのウィスキー「Q」のCMが放送され、Duraniesの間で幻のCMとなっている。
1984年、ライブアルバム『Arena』(アリーナ)が発売され、シングル「Wild Boys」(ワイルドボーイズ)発売
2度目の来日を果たし、東京、大阪、名古屋、福岡、仙台で全7公演を行う。
Sing Blue Silver
オリジナル5での来日は、一旦これが最後になる。
1985年、John Taylor、Andy Taylor、Robert Palmer、Tony Thompson(元Chic)らでThe Power Stationを結成。
一方、Simon Le bon、Nick Rhodes、Roger TaylorらでArcadiaを結成。それぞれデビュー・アルバム『The Power Station』(ザ・パワー・ステーション)『So Red The Rose』(情熱の赤い薔薇)をリリース。
1986年、John Taylor、Simon Le bonが各々にソロ・シングルを発売。それぞれがソロ活動、別ユニット活動を続けながら制作にとりかかるが、レコーディングの最中にAndyとRogerが脱退を表明。
その後、John、Nick、Simonの3人による新生デュラン・デュランとしてレコーディングを続行し5枚目のアルバム『Notorious』(ノートリアス)を発売。
1987年3月、3度目の来日を果たし、後楽園球場など、スタジアム・クラスの会場が多くのファンで埋め尽くされた。
ここツアーでSimonが歌った「Some Like It Hot」は、Duraniesの間では何かと話題の一曲。
このツアーから、ウォーレン・ククルロがツアーメンバーとして加わる。
Strange Behavior Tour
1988年には6枚目のアルバム『Big Thing』(ビッグ・シング)をリリース
1989年には初のベスト版アルバム『Decade』(ディケイド)をリリース
4度目の来日公演(東京、神戸、名古屋、全5公演)を行った。
中でも初の東京ドーム公演は他の国を含めた彼らのツアーの中でも最大規模のものとなった。
Electric Theatre Tour
1990年には8枚目のアルバム『Liberty』(リバティ)を発売。
このアルバムから、ギターのウォーレン・ククルロ、ドラムスのスタンリー・キャンベルが正式メンバーとなるが、同年12月、スタンリー・キャンベルがバンドを脱退。
1991〜92年のほとんどをレコーディングに費やした。
1993年、9枚目のアルバム『The Wedding Album』(ザ・ウェディング・アルバム)を発売。このアルバムにも『Duran Duran』と名付けられている事から、新たなDuran Duranが始まった意味合いも強い。
このアルバムからシングルカットされた「Ordinary World」(オーディナリー・ワールド)が世界中で大ヒットを記録した。
5度目の来日公演(東京、大阪、名古屋、全4公演)を行う。
No Ordinary World Tour
1995年、10枚目のアルバム『Thank You』(サンキュー)を発売。すべてカバー曲という興味深いアルバムである。
1997年、11枚目のアルバム『Medazzaland』(メダザランド)を発売。このアルバムのリリースと前後するように、Johnが脱退を表明する。
1998年、ベスト・アルバム『Greatest』(グレイテスト)を発売
1999年、リミックスアルバム『Strange Behaviour』(ストレンジ・ビヘイビアー)を発売
2000年、13枚目のアルバム『Pop Trash』(ポップ・トラッシュ)を発売。
2001年6月、Nick、Simon、Warrenの3人となったDuran Duranとして6度目の来日公演。これが、Warren Cuccurullo とのラスト・ショウとなる。
Pop Trash Tour
2003年、Simon Le Bon、Nick Rhodes、John Taylor、Roger Taylor、Andy Taylor、5人のメンバーが約17年ぶりに再会。
オリジナル5再結成。
2003年5月10日 メジャーデビューした1981年から1985年までのシングルを集めた「Singles Box 81-85」を発売
2003年、7月7日大阪を皮切りに、78-03 Japan Tourを行う。
2003年、Japan tour後、アメリカ国内でライブを行う。
2003年8月29日 MTV Awards 20周年を記念して、「MTV LIFETIME ACHIEVEMENT AWARD」が授与された。
ニック・ローズの働きかけにより、ウォーレン・ククルロにも贈られた。
2003年10月2日 Q Awardsにおいても、「LIFETIME ACHIEVEMENT AWARD」が授与された。
2003年11月〜12月 アメリカ、オーストラリア、ニュージーランド、シンガポールを巡るツアーを行う。
2004年2月17日 Brits Awardsにおいて 「Outstanding Contribution to Music Award」を授与。
2004年、4月7日ベルファストを皮切りにほぼ一ヶ月間、Duran Duran UK tour 2004を行い大成功を収めた。
2004年6月15日、Epicレコードとの契約が成立
2004年8月28、29、30日、ASTRONAUTプロモーションのため来日。
2004年9月15日 1986年から1995年までのシングルを集めた「Singles Box 2」を発売
2004年10月4日 ASTRONAUTより1stシングル(Reach Up For The) Sunrise UKで発売。
2004年10月20日 4年振りのNew Album 「ASTRONAUT」日本で発売。
2005年1月19日 1月22日 NKホールを皮切りに、来日ツアーを行う予定だったが、ドラムスのロジャー・テイラーの怪我(右足 第5中足骨骨折)のために、急遽来日公演中止。
2006年10月26日 公式サイトにて、アンディ・テイラー脱退を正式発表