80〜90年代のプロ野球選手。
右投右打、ポジションは内野手。背番号は7→38→25→8→49番。
1961年7月10日生まれ。愛知県出身。
名古屋電気高校*1から1980年、ドラフト1位で西武ライオンズに入団。
一軍出場機会がほとんど無かった。
1985年、鈴木康友との交換トレードで、読売ジャイアンツに移籍。
河埜和正の後を受け、遊撃手のポジションに定着。
1988年の東京ドーム開幕戦で、致命的な失策を行い、二軍に降格。
その後1991年に一軍昇格するも、既に川相昌弘が台頭しており、出場機会が減少。
トレード志願を行い、1992年、大野雄次との交換トレードで、横浜大洋ホエールズに移籍。
主に代打として出場。
1994年、韓国プロ野球、ロッテジャイアンツに移籍。
韓国名「洪淳基」としてプレー。しかし、同年限りで現役引退。
引退後は会社員を務める。
マスターズリーグ・名古屋エイティディザーズの選手としても活躍中。
*1:現在の愛工大名電高校。