4章 国際法学会の創立と育成 一節 山田三郎と立作太郎と山川端夫 山田三郎は1869年生まれ。早大の前身東京専門学校に18歳で入学。鳩山和夫に認められ帝大法科大学全科専科生となる。しかし中学を卒業していないため錦城中学校から開始。すごい努力の人である。彼は東大の権威を重んじ、国際法学会創立の中心人物になる。 国際法学会の権威主義を脱したのも山田で、創立50周年でそれを成した。その背景には愛国心があった、という。 立作太郎 1874年産まれ。産まれてすぐ、本家の兄夫婦の養子に出される。立作太郎は委任統治論でいくつか論文を読んでおり身近に感じる学者である。そして彼の死を招いたのがまさに戦争中であっ…