サッカー選手。ポジションはフォワード。
1979年6月4日生まれ。静岡県三島市出身。身長181cm、体重77kg。
恵まれた体格と足元の技術を兼ね備え、スペースに飛び出す動きや優れたポジショニングでゴールを量産するストライカー。
ジュビロ磐田では、中山雅史やドゥンガに鍛えられ成長。2002年にはJリーグ最年少での得点王を獲得した。
日本代表には高校時代から年代別代表に選出されている。小野伸二は同じ静岡出身の同級生で、代表チームでも抜群のコンビネーションを見せた。1999年のFIFAワールドユース選手権では準優勝を果たし、2000年のシドニーオリンピックではベスト8に進出した。
2000年にA代表デビューを果たし、同年のAFCアジアカップ優勝に貢献した。2002年、肺動脈血栓塞栓症を発症するという突然のアクシデントのため、2002年FIFAワールドカップの日本代表チームからは外れた。
2002年夏、ドイツ・ブンデスリーガのハンブルガーSVに移籍。2004-05シーズンにはリーグ戦7得点をマークした。2006年、FIFAワールドカップ・ドイツ大会の日本代表に選出されたが、無得点に終わりチームもグループリーグで敗退した。2006年夏、ブンデスリーガのアイントラハト・フランクフルトへ移籍。2006-07シーズンにリーグ戦11得点を挙げ、中田英寿以来となる欧州主要リーグでの2桁得点を達成した。2007年のAFCアジアカップではチームは4位に終わったが、4得点をあげる活躍で得点王に輝いた。
2008年1月、浦和レッズに3年契約で移籍してJリーグに復帰。しかしこの移籍を境に深刻な不調に陥り、スタメンからも外れることが増え、日本代表からも遠ざかることになった。
2011年、高校時代からコンビを組む小野伸二がいる清水エスパルスに移籍、2012年12月契約満了清水エスパルスを退団。2013年シーズン、東京ヴェルディに移籍。