敷地林や社寺林、周辺の里山とが一体となり、仙台は緑豊かな「杜の都」と形容され、
その名は全国的に知られている。「杜の都」の景観は明治・大正・昭和と継承されたが、
1945(昭和20)年7月10日の空襲によって、仙台市中心部は焦土と化した。
翌21年から取りかかった戦災復興事業では、青葉通、広瀬通、定禅寺通、東二番丁通が
新たな主要道として整備されていったが、中でもいち早く拡幅された青葉通は昭和25〜26年に
ケヤキが植樹された。最大幅50メートルを持つこの青葉通を見た市民は「滑走路にでも利用する
のか」と、まことしやかに噂された時代だったらしい。
現在そのケヤキ並木は「杜の都・仙台」のシンボリックな存在となった。