宝永4年7月15日。昼頃、大用寺うら(裏)で灯篭を燃やしていた。その火が燃え移り、藪垣(垣根)が焦げた。足軽が段々と駆け付けて来た。茶屋町で大坂からやって来た夜おどりが行われた。ところが音頭取が急に血を吐いて死んでしまった。その出血が激しかったので喧嘩かと大騒ぎになった。深夜、長者町十王詣でをすると、杉の町通南側長者町と長嶋町の間にある足袋屋の力持ちで27、8になる子の新蔵と門前町の大小を差した浪人十蔵、羽田野宗羽の子善太夫、このほか町人十兵衛などの6人が連れ立って出かけた。杉山三右衛門の近所で十蔵が刀を抜いて後ろから新蔵を斜めに1度切りつけて逃げ去った。この時善太夫は小便をしていて彼らの後ろ…