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長門型戦艦

(一般)
ながとがたせんかん

長門型戦艦は、大日本帝国海軍の戦艦の艦型のひとつ。
「長門」と「陸奥」の2隻が建造された。
建造された1920年当時、世界最大・最強・最高速の戦艦と呼ばれ、16インチ砲を搭載する2隻とも「世界のビッグセブン」と称された。
連合艦隊旗艦を何度も務めたこともあって、日本国民にとって長門型は日本海軍の象徴であり、当時の子供達も「大好きな戦艦は何か」と聞かれればこの長門型(特に長門)と即答し、写生するときの題材にも必ず挙がったと言われている。
長門型戦艦は八八艦隊計画に基づいて建造された初の純日本産の超弩級戦艦である。
「長門」は八四艦隊案大正5年度計画により、「陸奥」は大正6年度計画により加賀型戦艦や天城型巡洋戦艦と共に建造が承認された。2番艦の「陸奥」は、ワシントン海軍軍縮条約で完成しているかどうか問題になり、結果として「陸奥」の建造は認められることになった*1

沿革

1917年8月28日、「長門」起工。
1918年6月1日 、 「陸奥」起工。
1919年11月9日、 「長門」進水。
1920年5月31日、 「陸奥」進水。
1920年11月15日、 「長門」竣工、横須賀鎮守府入籍。
1921年10月24日、 「陸奥」竣工、佐世保鎮守府入籍。
1923年8月、「陸奥」第一次改装。
1924年7月31日、 「長門」第一次改装。
1934年4月1日、「長門」第二次改装。
1934年6月、 「陸奥」横須賀鎮守府へ移籍。
1934年9月5日、 「陸奥」第三次改装。
1936年2月26日、「長門」二・二六事件に出撃。
1937年8月、「長門」「陸奥」日中戦争に出撃、上海派遣軍第十一師団を輸送、陸奥は陸戦隊を艦載機で支援。
1941年12月2日、「長門」"ニイタカヤマノボレ1208"の暗号無電を赤城などの艦に配信。
1942年6月、両艦ミッドウェー海戦に出撃。
1943年6月8日、「陸奥」柱島泊地で第三砲塔下弾火薬庫が原因不明の爆発を起こし轟沈。
1944年6月19日、「長門」マリアナ沖海戦に出撃。
1944年10月22日、「長門」レイテ沖海戦に参加。
1945年4月20日、「長門」横須賀で予備艦となり、終戦を迎える。
1945年8月30日 、「長門」米軍に接収される。
1946年7月29日、「長門」原爆実験で沈没。

*1:代償としてアメリカ海軍はコロラド級戦艦2隻の建造、イギリス海軍は戦艦2隻の新造を認められた

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