長野原町内に入りまして、白砂川。奥に通称「太子(おおし)線」(旧国鉄長野原線)の白砂川橋梁が残されているのがよく見えます。 手前は吾妻線の線路ですが、大前行の車内からもこの鉄橋がよく見えました。 前回触れましたが、長野原線は鉱山資源運搬を目的として、戦中の1945年1月に渋川~長野原が開業。長野原~太子(おおし)間は群馬鉄山からの鉄鉱石輸送のため、日本鋼管(株)専用線、通称太子線が同時期に開業。 戦後は1952年に、国鉄に編入され長野原線は渋川~太子間となりました。しかし長野原~太子間は1970年11月に休止となり、そのまま1971年5月に廃止。 今回は太子線跡をポタ。 白砂川橋梁に至る路盤に…