羽柴秀吉が築いた居城(1575年〜1582年)。 旧浅井領を与えられた秀吉が、領国経営の拠点として、琵琶湖を望む交通の要衝、今浜に築いた。1575年に城が完成した際に、地名を長浜と改めた。
清洲会議後に柴田勝豊の城となる。後、秀吉によって再度占領され、以後山内一豊、内藤信成らを城主とする。 1615年、一国一城の令によって廃城となる。なお、長浜城の一部は彦根城の資材として用いられており、天秤櫓はそのまま移築した物だと言われている。 現在の天守は昭和になってから建設されたものである。
湖北ラン2日目は、総勢15人です。 幹事のHさんがよく行かれる関西の自転車屋さんとその常連さんも一緒に走ります。 長浜駅に集合。 長浜城の桜も満開です。 余呉川沿いは桜並木と菜の花が延々と続いています。 お昼は余呉湖で。 2日目の宿は、24時間温泉の簡易宿泊施設みたいなところでした。 kitaoumi.com
安土城址とJR安土駅前の信長公像(2024年撮影) ☞アシトドのブログのメニュー画面 へ 車椅子城郭評論家・アシトド松井 最初に車椅子のお城めぐりにとって残念な報告を、 安土城のメインストリート「大手道」は2013年に訪れた時には近くまで行くことが出来、幅の広い石段と左右の石垣を眺めることが出来たのですが、2024年に訪れたところ入山口が設けられおり、車いす利用者は近づけなくなってしまいました。 ビフォー(2013年) 2013年訪問時の安土城・大手道 入り口 アフター(2024年) 2024年訪問時の安土城・大手道 入り口 織田信長は関所を廃止しようとしたのに、新たな関所ができてたよ! 信長…
滋賀県長浜市 単口固定式 2004年11月 ナガサワ製のようです。 刻印は長浜水道企業団のものが近いと思うんですが www.eonet.ne.jp 微妙に違うかも。 紅葉が美しい晩秋の長浜城。 このまま横浜の結婚式に向かっていくのですが 途中岐阜に立ち寄り名鉄揖斐線・美濃町線に乗ったりして 忙しく移動していったのでした。
日本全国にあるお城。 見ていく中で「ん?」と感じたことを書いていく「かるーいお城の雑学」です! 今回は、天守の形式のうち、望楼型天守の紹介をします。 *天守建築の起源・ルーツのおさらい 望楼型天守1.松江城天守(島根県) 望楼型天守2.高知城天守(高知県) 望楼型天守3.岡山城天守(岡山県) 望楼型天守4.福知山城天守(兵庫県) 望楼型天守5.長浜城天守(滋賀県) 望楼型天守6.犬山城天守(愛知県) *天守建築の起源・ルーツのおさらい 「かるーいお城の雑学(その4)天守の謎をさぐる」では、天守建築の起源・ルーツについて考えてみました。 天守の起源については、以下のように諸説があり、はっきりと確…
朝ごはん 朝ごはんを食べて9時に出発です。昨日暑くてしんどかったので、レンタサイクルがないか探したところありました。 長浜駅近くで借りられることがわかったので、まず駅のコインロッカーに荷物を入れて、自転車を借りて出発です。 昨日行った長浜鉄道スクエアの前にある慶雲館からです。 慶雲館は明治19年秋、明治天皇皇后両陛下が長浜に来られるとのことで浅見又蔵翁が私財を投じて三ケ月あまりの突貫工事で建てられたそうです。 次は大通寺へ 江戸時代初期に建立され、真宗大谷派(東本願寺)の別院。伏見城の遺構と伝えられているそうです。 旅行に出かける前日、長浜の巨大万華鏡をテレビでしていたので、見てきましたが、写…
琵琶湖一周自転車旅(ビワイチ)もいよいよ3日目に突入。 kigyouhoumu.hatenadiary.com 3日目は彦根市と長浜市をまわり、お城や歴史スポットを重点的に観光した。 輪の国びわ湖 - サイクリングマップ 1.朝イチで国宝 彦根城へ 8時過ぎにホテルをチェックアウトして自転車で向かったのは彦根城。この日も快晴で気持ちの良い朝。すがすがしい朝の空気を吸いながら彦根城に向かう。 まずは入口の中堀前で記念撮影。彦根城のすぐ近くに学校があるらしく、通学する学生をちらほらと見かける。 自転車でそのまま佐和口を通り、二の丸に到着すると目の前には内堀が広がる。まだ時間が早いためか人は少ない。…
☞アシトドのブログのメニュー画面 へ 車椅子電車評論家・アシトド松井 2022年、滋賀県長浜市を巡り、長浜城(長浜城歴史博物館)・長浜鉄道スクエア・黒壁スクエアを車椅子で巡ることが出来ました。ここからの長浜車椅子旅行記は2022年に訪れた状況をご案内しています。今後のことはぜひご自身の車椅子でお確かめくださいね。 長浜城(長浜城歴史博物館) 前回、ご紹介した国宝の現存天守のある彦根城と、今回ご案内する復興天守で車椅子で入場できる長浜城は距離的に近く、車椅子のお城マニア(そんな人がいるかどうかは知りませんが)にはたまらないエリアです。そんな湖北の二つのお城と鉄道の位置関係を図にすると下のようなか…
伊豆半島の付け根、駿河湾沿いにある長浜城へ。 長浜城で調べると滋賀の長浜城がよくヒットしますが、こちらも負けないくらい面白いんじゃないかな。よく整備されて、小さい中に北条家の築城意図が詰まっている気がしました。 滋賀の長浜城はまだ行ったこと無いんですけどね。 お城:長浜城 静岡県沼津市HP:長浜城跡(ながはまじょうあと)/沼津市訪問日:2022年1月 概要 訪問記 第四曲輪~櫓~第一曲輪 腰曲輪~田久留和 田久留輪・安宅船模型 感想 アクセス 概要 15世紀後半ごろに築城されたと推定されます。 1579年、武田信玄が今の沼津市に三枚橋城を築いたことを受けて、北条氏は国境を守る城を築城。海からの…
琵琶湖へ 青春18きっぷの使用期間が9月10まである。先週2回分使ったので、次は8月に入ってからと思っていたのだが、新型コロナの拡大で、行動制限がかかりそうな気がしてきた。天気もいいし行ける時に行っておこうという訳で、今日は3回目になる。行先は琵琶湖方面。京都から時計と時計と反対周りに東海道線から北陸線、湖西線と経由し一回りし、3か所くらいで下車するというだいたいの予定を立てた。 5時台に家を出て奈良に。奈良6時15分発の奈良線京都行で京都に向かう。ちなみにJR奈良線とは木津から京都までの路線のこと。木津は既に京都府なので、奈良県内をまったく通らないのに奈良線と呼ぶのだ。 奈良から京都に向かう…
2021.11.09(火) 今回は、滋賀県長浜市公園町の「長浜城」です。 1575年(天正三年)頃、小谷城攻めの功で浅井氏の旧領を拝領した秀吉さんが初めて築いたお城です。 長浜城模擬天守(長浜城歴史博物館) 1983年(昭和58年)に建てられました。 しかし、大坂の陣後の1615年(元和元年)に廃城となり、資材は彦根城築城などに転用されたそうです。 今も残る彦根城天秤櫓は長浜城からの移築と伝えられていますが 天秤櫓が築かれるのは、築城の開始から数年後と考えられています。彦根藩主井伊家の家譜である『井伊年譜』には、この櫓が長浜城の大手門を移築したものであると記されています。 昭和30年代の解体修…
遅めに咲いた桜はもうすっかり散って青々した葉っぱが生えてしまいましたね。ええ。皆さん、もう2024年令和6年の桜はおしまいなのです。
今年の3月は寒かったですね。 桜もなかなか開花せずやきもきしましたが、ようやくお花見できそう、ということで、恒例の関西方面へのお花見旅に行ってきました。 宿泊地は 滋賀県の長浜と、京都に決定。 京都のオーバーツーリズムに恐れをなし、京都市内ではなくなるべく周辺を回る計画です。 では、出発! 4月4日(木) 早朝というか深夜に首都圏を出て、車で滋賀の大津へ。 朝9時50分に三井寺に到着しました。 平安時代から続く天台宗のお寺です。 金堂は国宝。 その他にも重要文化財の建造物がたくさん。 桜もだいぶ見頃になってきました。 裏山からは桜越しに琵琶湖が見えます。 境内にある西国札所の観音堂。 こちらは…
母子ふたり旅その7。 tae-s-note.hatenablog.com 松本、名古屋と城にふられ続けたこの旅。 ついに、、、 琵琶湖の湖畔で長浜城とご対面! 三度目の正直というのはこういうことかな、なんて思った。 豊臣秀吉が築いた長浜城は、江戸時代に取り壊されて廃城になり、 いまの長浜城は、昭和58年に市民の寄付などで建設され、長浜城歴史博物館として開館したそう。 www.city.nagahama.lg.jp 次の電車の時間があったので、残念ながら歴史博物館の中までは見ることができなかったけれど、城の前の公園で遊ばせてもらい、子どもも私もリフレッシュ。 長浜は琵琶湖もあるけれど、山側は薬草…
長浜に到着しました。 丁度長浜城と豊公園がライトアップ中 桜も良い感じに咲き始めてます 長浜の夜はこちらへ 長浜で人気のお寿司屋さん まずはお店のオリジナル酒で 浪の音のはかり売りの限定酒 七本槍の木桶生酛酒 北国街道 松の司 松の司 別バージョン お寿司ももちろん、地酒ともしっかり合って15貫ペロリでした! そしてあの有名な静岡のサスエ前田魚店の魚も食べれたのも感動! 大将&おとーさまとも色々話せて美味しく勉強できました! 生の「水とめたろか!」も聞けました(笑) 2軒目はお寿司屋さんに教えてもらったBarへ 何故かと言うと…お寿司屋さんで飲んだ「北国街道」山路酒造さんは滋賀で一番古い酒蔵(…
今回のブログ内容は、FIRE3年目の資産取り崩しで2024年3月末の資産金額10,007万円から2051年(85歳まで)28年後の資産取り崩し予想をブログに記載・考察します。 資産取り崩し予測(考察) 2024年3月末 図-1にFIRE資産予測(57歳から85歳までの取り崩しによる減少)を添付します。 この図の開始資産は2024年3月末資産合計10,007万円です。 図-1.FIRE資産の予測(57歳~85歳まで)残り28年 1.生涯の支出(計画・予測) 支出の予算計画(家計と家計外の合計)は、セミリタイア・FIRE開始と移住当初の2年間55歳~57歳は第一ステップで①年420万円(インフレの…
宝厳寺から都久夫須麻神社へと この道中には 結構 寄り道が増えます 何度も来ているのに 新しい発見が… そんな旅路での 寄り道つづり 苦笑 竹生島神社 古くから神の斎く島として 琵琶湖周辺に暮らす人々 崇拝されてきた竹生島 神社の歴史をひもとくと 420年に琵琶湖の湖水を守る浅井比売命を 祀る小祠が作られたのが始まり とか いまの本殿は 豊臣秀吉が寄進した伏見城の遺構 本殿の内部には 桃山時代の優美な装飾が施されています この装飾のひとつ 天井画は 特別な保護対策を講じられていない とか にもかかわらず いまなお傷まずに… 専門家曰く 竹生島は水に囲まれた島ですから 1年を通して湿度は80%も…
信長の野望出陣のイベントで指定された城を巡る旅、2日目。中間宿泊ポイントの京都まで。前日は前の記事↓ tatsuru.hatenablog.com 泊まったホテルの裏側を見ると、ホテルとの落差がすごくて岐阜の街の成り立ちとか感じられそうな雰囲気だけ感じた。何も知らないけど。 大垣城 長浜城 坂本城 大垣城 さすが東海道、電車がすごい数通ってる。前日に田舎ばかり行ってたので落差がすごい。 水の街ということで水路が張り巡らされてる。観光用の船も出てるらしい。 大垣城は駅からすぐですごく綺麗に保たれてる。平城は辿り着くのが楽でいいね。 本丸あたり。平地では咲いててすごくよかった。ここで一つ誤算があっ…
長浜城の桜は咲き始めといったところ。 歴史博物館でパスポート購入、黒壁スクウェアへ。 曳山博物館やフィギュアミュージアムは想像以上の面白さだった。 特に大通寺の中は屏風や襖絵、庭、馬酔木盆栽展など、期待以上だった。 最後は長浜鉄道スクウェア、D51など迫力があって楽しめた。 見どころが多く、いいウォーキングができた。
菜の花と桜と墨俣城 by:photo-ac 上の写真は、いかにもな春の景色ですね。 手前に菜の花、向こう岸に桜に囲まれた天守。 待ちどおしい春の風景。 城と春の景色を求めて、遠くへ行きたーい。 2021年3月に公開した「城と桜」で、1月下旬日本で一番早い桜まつりが行われる沖縄の今帰仁グスクから、5月上旬に桜まつりが行われる北海道の五稜郭まで、桜前線とともに北上して17城を紹介しました。 今回は、その時とは違う「城と桜」15城を紹介しましょう。 とは言え、ここに紹介した城以外にも、桜がとても似合っている城・城址は日本中にきっとたくさんあるはずです。 ここもよいところ、とおすすめがありましたら、ぜ…
海将(上)【電子書籍】[ 白石一郎 ]価格: 734 円楽天で詳細を見る 【あらすじ】 羽柴秀吉が大名となり播磨侵攻を命じられる頃、居城長浜城に播磨の豪族、黒田官兵衛が織田家に帰順するためにやってくる。その時官兵衛は、堺の豪商で秀吉の兵姑を担っている小西隆佐を紹介された。小西隆佐は秀吉の人物に惚れ込んで商売を賭けていたが、才気利発な親族の弥九郎を養子として、事業を継がせようと思っていた。秀吉もその話を聞いて、弥九郎を播磨攻略には欠かせない備前 (岡山)の宇喜多家に送り込んで誼を通じ、秀吉と宇喜多家の交流を持たせようとした。 宇喜多家の御用商人、魚屋九郎右衛門の養子として入り込んだ弥九郎は宇喜多…
今週のお題「小さい春みつけた」 とのことで春と聞いて思い浮かぶのは… やはり花ですかね🌷🌼 梅、桜、チューリップ、タンポポとか適当に思いついただけでも オオイヌノフグリちゃん紫だし小さくてかわいいのですき。 名前はちょっとアレですけどω 今回は変わり種…ってほどでもないですが。 春のお花を見てきましたのでお題の日記に。 舞台はなんと滋賀県長浜市ッ! 千葉県民が花のためにわざわざ見に行きました、嘘です。 イケメンで和風な建造物や古民家が立ち並ぶ長浜の街並み。 その場所は外れのあたりにあります。 長浜別院 大通寺 www.daitsuji.or.jp とりあえず門がデカいッ! 左にも目をやるとこち…
どうもルーシーです。 tonamel.com タイトルにあるように今回はオフ会の道案内やそれに付随する情報を書いていきたいと思います。 1ヶ月前になりましたので色々とガイド本として書いていきたいと思います! 色々と準備を進められている方々もいらっしゃるのではないでしょうか。 今回はそんなオフ会に向けて色々と書いていきたいと思いますので参考にしていただければ幸いです!
島津貴久(しまづたかひさ)のいちばんの協力者は、樺山善久(かばやまよしひさ)であろう。 16世紀の南九州において、島津氏は一族どうしで覇権を争った。本家筋の奥州家と、分家の薩州家と相州家と。この中で抗争を制したのが相州家の島津貴久だった。樺山善久は一貫して相州家に協力し、覇権の確立とその後の勢力拡大に貢献する。 樺山氏は島津氏の支族である。その歴史は南北朝争乱期にまで遡る。そして、なかなかの存在感を放っているのだ。そんな樺山氏について、ちょっとまとめてみた。 初代/島津資久(樺山資久) 2代/島津音久(樺山音久) 3代/樺山教宗 4代/樺山孝久 5代/樺山満久 6代/樺山長久 7代/樺山広久 …