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長井勝一

(マンガ)
ながいかついち

漫画雑誌「ガロ」初代編集長.

昭和39年(1964年)「月刊漫画ガロ」を創刊。この雑誌から白土三平、水木しげるといった戦後漫画史では欠かすことのできない漫画家達を輩出した。


なお、出身地の塩竈市には、「長井勝一漫画美術館」(http://www.freefactory.net/~nagai/)が設けられている。

略歴

1921年 4月14日宮城県塩竈市に生まれる。
1926年 東京足立区南千住へ転居。
1929年 千住第一小学校入学。
1935年 高等小学校、神田の電気学校を経て早稲田工手学校採鉱冶金部入学。
1937年 京都の昭和鉱業調査部入社。昼は仕事、夜は学校へかよう。
1939年 早稲田工手学校卒業。高等鉱業に入学するがのち満州鉱山入社。
1941年 満州鉱山を辞め、満州航空入社。
1945年 満州脱出。内地に戻り敗戦を迎える。
1946年 義兄の古書店と取次の仕事を手伝う。
1948年 赤本マンガの出版を始め「大和書店」開業。
1950年 結核のための休養後、特価本卸「足立文庫」を姉と始めるが結核再発。
1956年 神田神保町に「日本漫画社」設立。漫画出版再開。
1959年 「三洋社」設立。白土の「影丸伝」などの貸本を出版。
1961年 結核再発。「三洋社」解散。
1962年 療養中に「青林堂」設立。白土の作品を中心に次々と出版。
1964年 「月刊漫画ガロ」創刊。部数は8000部。
1966年 白土の「カムイ伝」の人気でガロが売れ出す。部数は80000部まで延びる。
1967年 ライバル誌「COM」創刊。ガロ大手出版社から吸収の話しがあるも断る。
1971年 「カムイ伝」連載終了。
1982年 最初で最後の著書「ガロ編集長」刊行。
1984年 ガロ20年史「木造モルタルの王国」刊行。
1989年 ガロ部数低迷。
1990年 青林堂、ツァイトに経営譲渡。
1991年 青林堂社長を退き会長に就任。
1992年 1月号から編集・発行人を退く。
1993年 宮城県塩竈市で「ガロとマンガとマンガ文化」開催。
1994年 「月刊ガロ創刊30周年記念パーティー」。
1995年 日本漫画協会選考委員特別賞受賞。12月肺に水が溜まり入院。
1996年 1月5日阿佐ヶ谷の自宅にて肺炎のため永眠。享年74歳。戒名「釈浄勝」。

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