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鉄道文学

(読書)
てつどうぶんがく

鉄道文学とは、鉄道列車、駅を主要な舞台とした文学作品をさす。
 鉄道旅行の紀行文学や、列車を利用した推理小説などのエンターテイメントを含めるのが一般的だが、本家英国では純文学を主体としている(小池滋編『英国鉄道文学傑作選』ちくま文庫 参照のこと)。
 日本の場合も純文学で鉄道を扱うものは幾つもあり、鉄道文学として選定することが難しいものもある。
 鉄道文学かどうかの基準として、たとえば「鉄道100年・文学と随筆選集 『汽笛一声』」(実業之日本社)が鉄道文学のアンソロジーを編み、まとめているので参考になる。その目次のトップにつぎの作品を挙げている。一つの指標となるものである。 
 「網走まで」志賀直哉 
 「蜜柑」芥川龍之介
 「汽車の罐焚き」中野重治
  
 鉄道文学のジャンルは、散文で書かれたものと韻文によるものに大きく分けられるが、詩歌も鉄道文学の一つのジャンルと考えられる(代表事例は、宮沢賢治「冬と銀河ステーション」、萩原朔太郎「夜汽車」、中野重治「機関車」などが挙げられる。

 鉄道紀行は鉄道文学に含まれない傾向があるが、これは狭隘な見方と言わざるを得ない。日本の鉄道紀行の分野で極めて巧緻なのは、内田百けんの「阿房列車」シリーズであり、日本の鉄道文学の第一人者である。窓外の景色の描写、鉄路のリズムの音響美などには卓越した表現性がある。後人の及ばないところだ。

 鉄道文学を、単体作品としての芸術と純粋に考えた場合、詩作品としては数限りないほど存在する。それは散文詩、それと俳句や短歌である。とくに後者は我が国固有の鉄道文学だと言える。例、「汽車見る見る山をのぼるや青嵐」(正岡子規「果て知らずの記」)言えば、俳人山口誓子の「踏切」は散文と俳句が合体した鉄道文学、踏切文学だとも言える。機械、機関車、列車、停車場、踏切、窓辺など、そこに漂う旅情、詩情を描いたものが鉄道文学だと考えられる。芸術的観点を評価の指標とすれば、「鉄道文学」というジャンルは確立できる可能性がある。

 なお、ネット掲示板「2ちゃんねる」の「文学」ジャンルに「鉄道文学を熱く語らない」がある(鉄道文学の定義づけなどはここで使われた言葉なども参照していることを断っておく)。

 鉄道の数、世界の数だけ鉄道文学は可能性としてあると考えておいたほうがよい。小池滋氏の英国鉄道文学の紹介が目立ちすぎたせいか、英国びいきの鉄道文学紹介はあるが、ヨーロッパの鉄道文学にしても、まだまだ国内への紹介が行き届いていないのが現状である(たとえば、エミール・ゾラ『獣人』やトルストイ『クロイツェル・ソナタ』なども立派な鉄道文学に該当する)。その他の世界の鉄道文学もまた同じだと考えてよい。

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