元バレーボール選手(レフト)。
1977年7月18日生まれ。熊本県出身。
188cm、73kg。指高238cm。
鎮西高校→法政大学→旭化成スパーキッズ
2006年、旭化成スパーキッズ廃部にともない現役を引退。
サッカー選手(DF・MF)。
1990年4月11日生まれ。
164cm、52kg。
土居SC→愛媛FCジュニアユース
* リスト::サッカー選手
70〜80年代のプロ野球、中日ドラゴンズの選手。
右投右打、ポジションは投手。背番号は29番。
1954年7月3日生まれ。千葉県出身。
1972年、ドラフト1位で中日ドラゴンズに入団。
伸びのある快速球を武器にロングリリーフもこなす救援投手として活躍。
2年目の1974年には35試合に登板し、セ・リーグ優勝に貢献。
1975年に最多セーブ、1976年に最優秀防御率とこの年に創設された最優秀救援投手を獲得。
1977年にはリリーフ投手でありながら自己最高の18勝を挙げ、最優秀救援投手のタイトルを獲得した。
1982年からは先発に専念、9勝を挙げてセ・リーグ優勝に貢献。直球の緩急で勝負するなど技巧派投手としても高い評価を受けた。
1984年に16勝を挙げカムバック賞を獲得。1988年にもリーグ優勝を経験した。
1989年、現役引退。彼の付けていた背番号29は、同じく速球派投手の与田剛へと引き継がれた。
1995年、中日ドラゴンズの投手コーチに就任。1997年、退団。
2004年、中日ドラゴンズチーフ投手コーチに就任も、二軍降格。同年、退団。
その後、東海テレビの解説者の傍ら、マスターズリーグ・名古屋エイティディザーズの選手。
2012年、中日ドラゴンズ二軍監督。翌年、退団。
現役中に長嶋茂雄・長嶋一茂親子の両者と対戦した、唯一の投手である。ファンからの評価は現役時代と引退後は正反対である。