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野村秋介

(読書)
のむらしゅうすけ

1935年〜1993年 東京出身の新右翼活動家、思想家。

若年の頃は出口辰夫(通称モロッコの辰・後に暴力団稲川会四天王の一人となる)の舎弟。五・一五事件の三上卓との邂逅を経て右翼開眼。戦後新右翼の代表的な論客として知られた。1963年、自民党の政治家・河野一郎邸を焼き討ちし、懲役12年の実刑判決。

出所後の1977年には経団連本部を襲撃、懲役6年の判決を受け再び服役した。

「ヤルタ・ポツダム体制打倒」と「日米安保条約破棄」を軸に、反権力の右翼としての思想を強く主張した。その批判対象は政界・財界からマスコミにも向けられた。ただ本人は左右を超越した「民族主義者」を自認し「右翼」と呼ばれる事を嫌っていたとも言われる。彼は右翼ながら、「在日」朝鮮、韓国人を慮っていた。

1983年、衆議院総選挙東京2区から新井将敬が出馬するも、同選挙区石原慎太郎候補の秘書により、『北朝鮮から帰化』という中傷シールが選挙ポスターに貼られる。−所謂黒シール事件,その際野村秋介が、石原慎太郎候補事務所に猛抗議に行った。持ち前の義侠心からであった。

1992年、参議院選挙に際して「風の会」を組織し比例区から候補者を擁立した。『週刊朝日』誌に「ブラック・アングル」という風刺イラストを連載していた漫画家山藤章二が、これを「虱の党」と揶揄した作品を発表した事をとらえ、朝日新聞に対する抗議の姿勢を強めた。

翌年の1993年10月20日、朝日新聞東京本社に乱入、社長ら首脳と話し合いの後「天皇(すめらみこと)弥栄」と三度言い残し、拳銃自殺。

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