『選択本願念仏集』(せんちゃくほんがんねんぶつしゅう、せんじゃくほんがんねんぶつしゅう)
法然(1133-1212)の主著。略称『選択集』(せんちゃくしゅう、せんじゃくしゅう)。1198年、六六歳のとき、九条兼実の求めに応じて撰述する。 二巻十六章から成る。阿弥陀仏の名を称することで万人が往生成仏するという専修念仏の教えを説いた。
選択本願念仏集 (岩波文庫)
選択本願念仏集―法然の教え (角川ソフィア文庫)
法然を読む―「選択本願念仏集」講義 (角川叢書)
選択本願念仏集 (ちくま学芸文庫)
『選択本願念仏集 法然の教え 』 阿満利麿 角川ソフィア文庫 選択本願念仏集 法然の教え (角川ソフィア文庫) KADOKAWA Amazon これはよかった。 『選択本願念仏集』の現代語訳があり、訳者ノートがある。最初から最後までいって、今度は書き下し原文があり、語彙がある。 現代語訳は著者独自の読み方を入れているというよりは、多分奇をてらわないオーソドックスな訳だと思う。しかも読みやすい。 現代語訳で内容が頭に入った後に、改めて書き下し原文に当たり自分で読めるのだ。これはすごい。原文をやっぱり読んでいる感じがする。自分が読んで感じることが出来る。これとても大事だ。構成がいい! 法然上人の教…
2009/10/15(木) 法然聖人のお言葉については、すでにコメントで出していますので、省略しました。http://kondoutomofumi.blog121.fc2.com/blog-entry-183.html#comment300選択本願念仏集の念仏付属章をお読み下さい。(註釈版聖典七祖篇 1262-1274頁)
2009/08/17(月) 善人なほもつて往生をとぐ、いはんや悪人をや。しかるを世のひとつねにいはく、「悪人なほ往生す、いかにいはんや善人をや」。この条、一旦そのいはれあるに似たれども、本願他力の意趣にそむけり。そのゆゑは、自力作善のひとは、ひとへに他力をたのむこころかけたるあひだ、弥陀の本願にあらず。しかれども、自力のこころをひるがへして、他力をたのみたてまつれば、真実報土の往生をとぐるなり。煩悩具足のわれらは、いづれの行にても生死をはなるることあるべからざるを、あはれみたまひて願をおこしたまふ本意、悪人成仏のためなれば、他力をたのみたてまつる悪人、もつとも往生の正因なり。よつて善人だにこそ…
2009/08/16(日) 【散善三福】観無量寿経「散善顕行縁」の後半には三福が説かれ、その三福を行じて往生する姿を、「正宗分の九品段」で教えられています。散善三福の行は、定善のできない人に説かれたものです。 上上品から上下品までは行福(大乗仏教の善)を励んでいる凡夫の善人 中上品・中中品は戒福(小乗仏教の善)を励んでいる凡夫の善人 中下品は世福(世俗の善)を励んでいる凡夫の善人 下三品は三福のできない悪人下三品の悪人は本来は定善も散善もできないのですが、念仏の教えで往生します。散乱の心で念仏を称えますので、一応、散善の機とされていますが、念仏は定善でも散善でもない、本願他力の行です。一方、三…
2009/08/08(土) 弥陀の本願まことにおはしまさば、釈尊の説教虚言なるべからず。仏説まことにおはしまさば、善導の御釈虚言したまふべからず。善導の御釈まことならば、法然の仰せそらごとならんや。法然の仰せまことならば、親鸞が申すむね、またもつてむなしかるべからず候ふか。「その4」に引き続いて、この文章について考えてみたいと思います。ここで、親鸞聖人は、阿弥陀仏ー釈尊ー善導大師ー法然上人ー親鸞聖人と並べておられます。阿弥陀仏と釈尊は当然として、善導大師と法然上人のお名前を挙げておられるのは何故でしょうか?七高僧ならば他にも龍樹菩薩、天親菩薩、曇鸞大師、善導大師、源信僧都がおられます。しかし、…
【検証】親鸞聖人の六字釈は、「阿弥陀仏は念仏を称えよと仰っていない」根拠と成り得るのか 本日は、昨日の「埼玉恵日会」のお話についての記事に関して書きます。阿部信幾先生が根拠として提示した親鸞聖人の六字釈が、本当に「阿弥陀仏は念仏を称えよと仰っていない」根拠と成り得るのか検証します。しかれば南無の言は帰命なり。帰の言は、[至なり、]また帰説(きえつ)なり、説の字は、[悦の音こえなり。]また帰説(きさい)なり、説の字は、[税の音こえなり。悦税二つの音こえは告なり、述なり、人の意を宣述するなり。]命の言は、[業なり、招引なり、使なり、教なり、道なり、信なり、計なり、召なり。]ここをもつて帰命は本願招…
「親鸞聖人像」ということについて述べてみたいとおもいます。 「これが浄土真宗の教えである」と語られるとき、親鸞聖人のお言葉があげられて説明がなされ、その中で自分の領解を申し上げる、というのが浄土真宗のご法話というものの大体の構成ではないかと思います。 親鸞聖人のお言葉をあげるのは話者がともに聞かせていただく姿勢を示すことでもありましょうが、話者にはそれぞれの「親鸞聖人像」というものがあるのではないかと思います。 聞く側も、その話者を通じてそれぞれの「親鸞聖人像」を思い浮かべることでしょう。 古い説教本や親鸞論などを読んでいると中には唐突に親鸞聖人のお言葉を示して「親鸞聖人がこうおっしゃっている…
吉水の草庵跡(よしみずのそうあんあと) 1.円山公園 吉水の草庵跡(安養寺)は以前から行きたいと思っていました。京都駅前から市バスに乗り祇園で下車。八坂神社を通り過ぎて円山公園に進みます。 円山公園の由来はもともとこの公園の一帯は、慈円山安養寺の境内であったことによります。安養寺は天台座主であった慈円ゆかりの寺です。徳川時代には慈円山は「円山」と称され、寺坊六ヶ寺と本坊を構えた堂々たる一山寺でしたが、明治になり、坊舎は「円山」の名と共に公園地に没収され、今は本坊、弁天社、雨宝堂を残すのみとなっています。 公園内を散策しながら東に進み安養寺をめざすのですが、道が入り組んでいて何度も同じ場所に戻っ…
何度も何度も指摘されていても全く理解できない高森親鸞会会員ですが、この部分は理解可能でしょうか。 このブログは、平成22年から23年にかけて浄土真宗親鸞会において発刊された機関誌『顕真』の特集「宿善と聴聞と善のすすめ」について、「飛雲 ~親鸞会の邪義を通して」で記事になったものをまとめたものです。 『顕真』平成22年11月号に、宿善についての解説が長々と書かれています。これまでと同じ主張で、何度も間違いが指摘されながら、修正しようという気持ちが全くなく、進歩が感じられません。絶版になった『会報』を少し変えた程度の内容です。 この中で「頓機」と「漸機」という言葉を使って宿善の厚薄を説明しています…
南無阿弥陀佛みなさんこんにちは(^O^)今日は 「法然上人とゆかりの人々」 その㉑をお届けします。 浄土宗 元祖 法然上人今日ご登場いただくのは、 「明遍(みょうへん)様」です🙏 明遍様は、藤原通憲(信西)の子で、 三論宗の奥義をきわめ、 当時屈指の学僧と讃えられましたが、ご自身は名声には目もくれず37歳の時に世の交わりを断ち、 あらゆる教えを学び行じるようになります。 45才で高野山に入り、 ひたすら六道輪廻からの解脱を求め 益々ご修行に励まんでいました。 ちょうどその頃、 法然上人が説かれたお念仏の教えは 次第に広まりつつありました。 そんなある日、明遍様は、 たまたま法然上人の著書 『選…
守護国家論 現代語訳 11 第六章 全体を七門に分けた第六として、『法華経』と『涅槃経』に依る行者の心得を明らかにする。一代教門の勝劣・浅深・難易などについては、すでに前の段落で述べた。この段落では、一向に後世を願う末代の常に迷いに沈む五逆・謗法・一闡提などの愚人のために記す。概略的に三節に分ける。一節には、在家の諸人は、正法を護持すれば生死を離れ、悪法を持てば三悪道に堕ちることを明らかにし、二節には、ただ『法華経』の名号だけを唱えて三悪道を離れるべきことを明らかにし、三節には、『涅槃経』は『法華経』のための流通(るつう・補助・宣布という意味)であることを明らかにする。 第六章 一節 第一に、…
先日、職場の腰部レントゲンを撮りに行く途中、県の近代美術館、博物館の前を通ると現在展示中の展覧会の大掲示板がありました。 「これは見に行きたい」ということで最終日の「明恵上人伝」展を先に見に行くことにしました。 明恵上人といえば、「夢記」という自身の夢を書き記した書物が有名で、おっさんの観覧前の知識はそこ止まりです。 明恵上人夢記 訳注 勉誠出版 Amazon 観覧後は上の図録も買いました。 おっさん、基本的には今後は見に行った展覧会は全て図録を買おうと思ってるんですよね。30代の頃とかは「今後も似たような展覧会を見に行くと思うから、気に入ったのだけ買おう」と思っていたのですが、50歳を過ぎた…
『法華経』現代語訳と解説 その43 宿王華菩薩よ。この経はすべての衆生を救うのである。この経はすべての衆生を、多くの苦悩から離れさせるのである。この経は大いにすべての衆生を導き、その願を満たすのである。それはまさに、清らかな池が、すべての渇いた者を満たすようであり、寒さを感じる者が、火を得たようであり、裸の者が衣を得たようであり、旅の商人が隊長を得たようであり、子が母を得たようであり、渡ろうとする者が船を得たようであり、病の者が医者を得たようであり、暗闇に燈火を得たようであり、貧しい者が宝を得たようであり、民が王を得たようであり、貿易商が海を得たようであり、灯が闇を除くように、この『法華経』も…
守護国家論 現代語訳 10 第五章 全体を七門に分けた第五として、正しい教えに導く善知識の人、ならびに真実の教えにはめぐり会うことは難しいことを述べるならば、これに三節ある。 一節は、人身は受け難く仏法は会い難いことを明らかにし、二節は、受け難い人身を受け、会い難い仏法に会うといっても、悪知識に会うために三悪道に堕ちることを明らかにし、三節は、正しく末代の凡夫のための善知識について明らかにする。 第五章 第一節 人身は受け難く、仏法は会い難いことを明らかにすれば、『涅槃経』第三十三巻には、「その時、世尊は地の少土を取ってこれを爪の上に置き、摩訶迦葉に告げて言われた。この土と十方世界の地の土と、…
守護国家論 現代語訳 09 第四章 全体を七門に分けた第四として、謗法の者を対治すべきである証拠の文を出すならば、これを二節に分ける。一節は、仏法は国王大臣ならびに僧侶や尼僧や男女の在家信者に委ねるべきことを明らかにし、二節は、まさしく謗法の人が王の治める国にいるならば、必ず対治すべきである証拠の文を明らかにする。 第四章 第一節 仏法は、国王大臣ならびに僧侶や尼僧や男女の在家信者に委ねるべきことを明らかにする。 『仁王経』には、「仏は波斯匿王(はしのくおう・歴史的釈迦の在世に、中インドを支配していたコーサラ国の王。息子の祇陀太子(ぎだたいし)は、祇園精舎のために土地を寄進し、娘の勝鬘夫人(し…
・ ・ ・ 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。 ・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・ 2023年11月25日 YAHOO!JAPANニュース AERA dot.「「悪人こそ救われる」 殺生が“仕事”の武士の心をつかんだ親鸞の悪人正機説 親鸞聖人像(奈良国立博物館蔵、出展:Colbase) 藤原氏といえば、摂関政治による栄華を極めた一族のイメージは強いが、優れた文化人や僧侶も輩出している。例えば、公家社会から武家社会への転換期、同時代を生きた二人。「小倉百人一首」の選者である藤原定家と浄土真宗の祖の親鸞だ。『藤原氏の1300年 超名門一族で読み解く日本史』(朝日新書)…