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進化論

(音楽)
しんかろん

Jeeptaの2作目のインディーズアルバム。

進化論

進化論

進化論

(サイエンス)
しんかろん

Evolutional Theory、Theory of Evolution (英)

広義には、生物種の起源について、神による創造等ではなく原始生物からの進化を想定する立場。創造論(創造説)の対義語*1
狭義には、その進化のメカニズムがどのようなものであるかということ*2

略史

ダーウィン以前

人間が万物の霊長でありなんらかの特殊な生物であるとの見方は、世界的に見てもあまり珍しいものではなかった。キリスト教の支配する西欧的世界においてもそれは例外ではなく、天地創造の最後に他の動植物すべての支配者として特に人間が作り出されたとされていた。
しかし、ヨーロッパ世界の拡大とともに人々の知見が拡大すると、生物種の起源に疑問が持たれるようになった。
例えば熱帯地方の多様な生物相であったり、あるいは化石という形で発見された過去の様々な生物の存在である。聖書にそのような事柄の指針となる物は含まれていなかった*3
また、地学分野の発達によって地層という物の形成される期間の長さが明らかになり、生物学の発達によって生物間の類似点と相違点が整理されたりもした*4。これらは生物種が万古不易な物ではなく、なんらかの変化があったことを示すように思われた。
18世紀から19世紀にかけて活躍したエラズマス・ダーウィン*5やラマルクといった人々は、単純な生物が次第に複雑な生物に進化するのではないかという考えをそれぞれ著している。
とはいうものの、やはり伝統的なキリスト教的世界観の支配の下では、それが社会の主流とは外れた考え方なのは事実だった。

ダーウィニズム

イギリスのチャールズ・ダーウィンは海軍の調査船ビーグル号に乗り込み、1831年から1836年にかけて、世界一周航海を行った。その際に世界各地の多様な動物相を観察し、特にガラパゴス島での生物種の観測の結果、進化の着想を得たとされる。
何にせよ膨大な量の資料を得たダーウィンは、徐々にそこから進化論と呼ばれるようになる体系をまとめていった。ダーウィンは生活に追われてなかったので作業も割とのんびりしたものだったが、ウォーレス*6から届いた手紙がすべてを変えた。ウォーレスも生物種の観測によってダーウィンと同様に進化という考えを持っており、それをまとめた論文に手紙を付してダーウィンに送ったのだった。
これ以上ぐずぐずしていられなくなったダーウィンは大急ぎでまとめに入り、1858年、ウォーレスの論文を(勝手に)付加する形で、全生物種の進化という研究成果を発表した*7
さらに1859年にダーウィンは自説をまとめた「種の起源」を著し、進化論を世に問うて大きな反響を得た。

ダーウィンが進化の源泉として重視したのは《自然淘汰/Natural Selection》による《適者生存/Survival of the Fittest》だった。
簡単に言うと、生物は卵なり子供なり種子なりを、成体になるよりもずっと多く産んでいる。よってその子孫は生き残るための生存競争を行うが、子孫は常に均一ではなく、なんらかの変異を持っているものもある。そうすると、より生存に適した変異を持ったものが生き残って子孫を残す権利を得る。これを繰り返していけば、やがて別種に進化する、というものである。
この時代、遺伝子も遺伝法則も未発見だった*8ため、理論面では不十分な部分もあったが、それでも大きな説得力を持っており、大きな反響を与えた。

進化論の発表は社会に大きな衝撃を与えた。なんとなれば、これは突き詰めれば人間も他の動物と同様の存在に過ぎないとの主張であったからである。ダーウィン自身は論争にはあまりかかわらなかったが、かわりにハクスレーをはじめとする人々はこの新しい理論を擁護し、普及に努めた。


日本語語源について

辞書などでは「evolution theoryの加藤弘之による訳語」とされている。加藤は明治期の政治学者であり、http://www.ndl.go.jp/portrait/datas/56.htmlなどを参照されたい。
また、進化という語になる経緯についてはhttp://oshiete1.goo.ne.jp/qa240948.html?ans_count_asc=2などを参照されたし。

*1:強いて言い替えるならば「進化説」とか「進化主義」か

*2:他分野であれば、例えば「進化理論」とか「進化学」のような名前で呼ばれる分野のこと

*3:ノアの洪水などの記述を用いて化石の起源を説明しようという努力などが行われたこともあったが

*4:顕微鏡による細胞の発見であるとか、比較解剖学によって諸生物の分析が進んだりとか。また、生物種を系統立てて分類するという生物分類学の出現も見落とせない

*5:チャールズ・ダーウィンの祖父

*6:Alfred Russel Wallace(1823年〜1913年)もともとはイギリスの博物学者。生物の地理的分布に関する専門家でもあり、ウォーレス線の存在を提唱した

*7:こういうのは先陣争いで大もめするのが定番だが、このときは互いに手柄を譲り合う珍しい光景が見られた

*8:メンデルの法則は1865年

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