明治24年(1891年)10月12日〜昭和20年(1945年)12月16日
昭和・戦前期の政治家。
第34、38、39代内閣総理大臣。貴族院議長も務めた
公爵。五摂家筆頭の家柄で外見も優れ、国民に支持が篤かった
日中戦争〜太平洋戦争初期の首相として知られる。開戦を決定し、戦時体制を敷いたものの、戦中は早期和平を常に唱え続けた
戦後、内閣の一員として政治の表舞台に復帰したが、国内からは戦争責任を求める声が強かった
世論に押されたGHQによってA級戦犯として召喚され、召喚期限の前日に荻窪の自宅、荻外荘にて青酸カリを服毒し自殺した