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近藤和彦

(スポーツ)
こんどうかずひこ

プロ野球選手・指導者・解説者。
左投左打、ポジションは一塁手・外野手。背番号は26番*1

1936年3月2日生まれ。大阪府出身。

平安高から明治大学を経て、1958年、大洋ホエールズに入団。
キャンプで速球を打つ方法を試行錯誤しているうち、剣道の構えからヒントを得た天秤打法を発案。右手はバットのグリップエンド、左手はバットの中ほどを持ち、バットを頭の上に寝かせて構える独特の打法であった。古傷であったヒジの痛みを和らげるための方法であったとも言われている。

1年目からレギュラーとして打率.270、13本塁打を記録。

1960年には三原脩監督の元、先輩である秋山登土井淳らと共に日本一に貢献。

1961年7月8日にサイクルヒットを記録。
自他ともに鈍足の選手であったと認めているが、優れた走塁技術でそれをカバーし、同年には35盗塁で盗塁王を獲得。

1965年には打率.308で152安打を放って最多安打を記録している。
打率リーグ2位を通算4回、打率3割を通算6回記録。
近藤昭仁桑田武らと共にメガトン打線の中軸として活躍。


1966年5月10日の阪神戦で一旦はサヨナラとなる本塁打を放つも、投球前にタイムがかかっていたため打ち直しとなり、ピッチャーゴロに終わった。

1967年には自己最高の打率.327を記録したが、中利夫に敗れてまたしても2位に終わった。


1973年、近鉄バファローズに移籍。

同年引退。大洋ホエールズのコーチに就任。
その後はフジテレビの野球解説者を歴任。

大沢啓二に招聘され、1991年より、日本ハム・ファイターズのコーチ、二軍監督を務める。

退団後はNHK・BSの野球解説者を歴任した。

マスターズリーグの発案者の1人で、発足に貢献。札幌アンビシャスのコーチとして活躍。


2002年6月10日、逝去。

*1:スラッガーの背番号として、田代富雄ラリー・シーツ、佐伯貴弘に継承される。

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