明治・大正期の建築家。安政元年8月22日(西暦1854年10月13日)生まれ、 大正8年(1919年)3月25日没。建築家。明治12年工部大学校(後の帝国大学、東京大学)造家学科を第1回生として卒業。明治16年英国留学から帰国。同大学校教授、大学長、建築学会会長を歴任。葛西辰野建築事務所を創立。 大型の建築物を数多く手がけたが、中でも有名なのは東京駅丸の内駅舎である。 東京駅に見られるような赤煉瓦と白い花崗岩を組み合わせた様式は、しばしば「辰野式」とまで呼ばれる。
(弟子との共作や事務所名義での設計のものを含む)
ほか、多数。 なお、ソウル駅舎が辰野金吾の設計によるものとの説があるが、これには異論もある。
*1:現・京都文化博物館別館
*2:現・日本銀行旧小樽支店金融資料館
*3:現・南海電気鉄道浜寺公園駅
*4:現・福岡市赤煉瓦文化館
少し前の話になりますが、2月22日のこと。JR東日本から発売されているキュンパスを使って、岩手に行ってきました。JR東日本が1日乗り放題を発売するのは、この時以来か? 東北弾丸日帰り旅。━其之壱━ tokyosora.hatenablog.com岩手県は、おいらにとって、東日本唯一未踏の地。(新幹線で、通過は何回かあるけど。)今回は、日帰りということで、比較的行きやすい、盛岡・花巻に行きました。行程は、下記の通りです。 東京駅6:04<東北新幹線・やまびこ51号 51B>盛岡駅9:17盛岡東口9:45<でんでんむし 市内循環バス>盛岡BT9:54盛岡駅12:48<東北本線1540M>花巻駅13…
※この日記は1/26に書くつもりだったものです。 こんにちは。 佐賀県、唐津駅前です。久しぶりに帰省しました。父上、母上と感動の再会。父方の祖母は101歳になりました。がばいすごかー。 学生時代に時給650円のレジ打ちのバイトでせっせと貯めた ¥1,000,000 を佐賀銀行から下ろしました。¥1,001,278 になっていました。詐欺じゃなかですか? 同じ100万円でも、学生時代と今とでは感じる価値が全然違います。若いうちはお金は好きなことにパーっと使うのが一番だと思います。私は貯金が好きな変態だったので後悔はありません。 ふらっと周辺を歩きます。 建て替わったんですね、市役所。ピッカピカ。…
いつもサッサと通過しちゃう東京駅ですがじっくり見たら、おおー!となる見どころが隠れていました。丸の内側北口の1階、改札を抜けると大きなドーム型のホールになっていますがドームの天井部分に、ひっそりと干支の彫刻が飾られています。 丸の内駅舎 北口のドーム天井 十二支全部ではなく、8つの方角を示す丑/寅/辰/巳/未/申/戌/亥の干支がいます。 東西南北にあたる・子(ねずみ:北)・卯(うさぎ:東)・午(うま:南)・酉(とり:西)は、ドームが八角形なのでいません。 今年の干支「辰」は東南東の方角にいました。 辰の彫刻 一階からだとはっきり見るのが難しい距離でちょっと残念ですが、図のような玉を持った「辰」…
京都文化博物館の別館 1906年(明治39年)に完成した元日本銀行京都支店を整備 赤煉瓦と白い花崗岩の横縞が見事な調和 19世紀後半のイギリスの建築によく使われたクィーン・アン様式 国の重要文化財 京都文化博物館の別館 京都文化博物館の別館 クィーン・アン様式とは? 18世紀のイギリスでアン女王の時代に流行した建築様式で、イギリスが入植した時代のアメリカで発展した様式のひとつです。 中世の城を思わせる多角形の塔がトレードマークの左右非対称な外観が特徴です。 八角形の塔屋部分を「アン」といいます。 「アン」の屋根の勾配や大きさによって建物全体の表情に変化を与えます。
北九州市には名建築物がいろいろあるので,もっと海外の方にも知って欲しいですね.そもそも市民も案外知らないかもしれません(汗). 私も建築に詳しいわけではないので,超有名どころとして,ここでは辰野金吾氏と磯崎新氏の建築物を挙げておきます. 辰野金吾氏についてはこちらが読みやすいかと思います. 北九州市内にある辰野金吾氏の建築物は下記があります. 九工大の前身である明治専門学校の本館も辰野金吾氏の建築物だったのですが,取り壊されてしまって,今では正門詰所しか残っていません.とても残念です. 九工大の前身は私立の明治専門学校です。建物の建築は辰野金吾によるもの。この写真(明専アーカイブにある模型)の…
明治の初め、本格的に国を開いて間もないころの日本に、どやどや上がりこんで来た紅毛碧眼の異人ども。我が国固有の風景を好き放題に品評した彼らだが、こと建築に限っていうと、嘆声を放ったやつはほぼ居ない。 「なんだこの、薄っぺらな紙と板の小細工は」 大抵が悪口に終始した。 「マッチ一本投げ込むだけで、たちまち灰になるだろう」 そんなことを大声でがなり立てるのである。 人目を憚らず――というよりも、黄色人種を最初から人間と認めていない風だった。 ――相手にするな。 と、後世に棲むわれわれならば言うだろう。 どうせあんなのは一旗組だ、祖国に立つ瀬がないゆえに、遠く離れた異郷の地にて原住民をだまくら(・・・…
物事の真実(レンコンなりの解釈) セカンドライフを始めて間もないレンコンですが、歴史の真実を妄想し、調査している段階ですが、今現在のレンコンが信じる歴史の真実を不定期に発信したいと思います。よろしければレンコンの妄想にお付き合い下さい。 小樽の洋館たち 日本銀行旧小樽支店 小樽市指定有形文化財です。 設計者は辰野金吾です。 辰野金吾は、唐津藩の下級役人の次男に生まれましたが、叔父の養子になり、現東大工学部の1回生として入学し、お雇い外国人のイギリス人ジョサイア・コンドルに2年間指導を受け英国に留学し、3年間ロンドン大学で学びます。 日本に帰国してコンドル退官後に東大工学部の教授に就任しています…
日本銀行旧小樽支店。現在は、金融資料館になっている。かつて北のウォール街と言われ繁栄を極めたエリアに今も威風堂々と聳えるのは、辰野金吾とその弟子・長野宇平治らの設計の建築。辰野金吾と言えば、東京駅に代表されるように赤煉瓦の建築のイメージが強いが、実はこちらも赤煉瓦建築。表面をモルタルで塗装しているので石造り風に見える。館内に入ると赤煉瓦部分が露出している部分も見学できる。小さいけどドーム屋根があり、またそれが威厳を放っている。坂の斜面に建っているので、基礎の部分の厚さが違う。それにしても日銀の支店があっただなんて、小樽はどれほど経済的に発展していたのかね。この風景が街の日常の中にあるって、毎日…
今回も引き続き大阪市中央公会堂建築やっていきます。 いよいよ大屋根も残すところ中央の直線屋根部分だけになりました。今回で完成させて、一階より上部分の完成になります。 屋根は相変わらず模型頼みなので、いつもの この写真を参考に作っていきます。 この直線屋根の角度模型の写真では雰囲気しかつかめないので、ちょっと何パターンか作ってみます。 最初のはちょっと急すぎる感じで、真ん中くらいのがいいのかなという感じですが、左右に違う角度で作ってみます 右はやっぱり角度なさすぎかなということで、左側ので行きます。 角度決まると、そのまま置いていくだけなので、一気に張ってしまいます。 他の屋根と同じように横から…
今回も引き続き中央公会堂の大屋根張りやっていきます。 その前に、1.20のアップデートの正式リリースが6月8日に決定しましたね。 僕はランチャーの「最新のリリース」というところでプレイするのでなく、シーズンだったりバージョンだったりでフォルダーを分けてゲームを開いているので勝手にアップデートされてました、なんてのはないので、自分で移行タイミングは決めているのですが、基本optifineが導入できるようにならないとアップデートしないので、もう少し後になりますが、にしてもあとひと月くらいでしょうか。 そこまでには周りの整備も含めて何とかこの大阪市中央公会堂も完成させられてるでしょうか。 そこで新シ…
4月14日(日) 97日目 今日は洗濯日和です、いや別に干すわけじゃないですが。と言うことでコインランドリーへ。嫁さんの要請で時間の潰せるところをチョイスです。スーパーマーケットの大阪屋ショップ、スギ薬局、アベイルの並ぶところにあるコインランドリーでお洗濯、ホント洗濯物を畳むのが大変です。洗濯を終えて高岡古城公園に行きます。公園の駐車場は満杯で待ち行列、市役所の臨時駐車場も空き枠を求めてクルマが徘徊してます。日頃の行いが良いので、一周目に目前のクルマが出庫してくれました。公園は人でいっぱいです、週末のお花見としては最後かもしれないしね。一旦高岡を離れて伏木へ。勝興寺でマンホールカードを貰います…
小学校の国語の教科書に掲載してあった「やまなし」は、今でも幼馴染との会話でしばしば話題にあがる。 「クラムボンは笑ったよ」 「クラムボンは泣いたよ」 「その後どうなるっけ?」 「死んだんじゃない」 「なんで死んだんだっけ?」 「知らない」 そんな掛け合いをしてひとしきり笑うと、「結局、クラムボンって何なんだろうね」となるのだが、答えは出てこない。小学校の授業でも、クラムボンは何かという問をクラスメイトで話し合った記憶があるが、結論については覚えていない。だが、宮沢賢治が私達の子ども時代の大事な思い出に一役買っている作家であることは間違いないだろう。 宮沢賢治の大ファンというわけではないが、夢溢…
・ ・ ・ 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。 ・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・ 日本列島はユーラシア大陸の東の最果てにあり、人が辿り着いた辺境である。 世界各地から文化と宗教、知識と技術は、海に囲まれた閉塞空間の日本に流れ込み、砂漠の水のように日本全土に染みこみ、その混沌とした状態の中から数万年前の旧石器時代・縄文時代、数千年前の弥生時代・古墳時代の時を経て生まれ出たのが日本文化で、その文化からヤマト王権=日本天皇、日本国、日本民族、日本神道が誕生した。 日本文化は混沌とした泥沼文化で、混沌とは腐葉土である。 ・ ・ ・ 日本列島は、国生み神話の「おのころじま…
辰野金吾は明治を代表する建築家である。彼は嘉永7年(1854)に佐賀県に生まれる。工部大学校(東京大学工学部)の第一期生として入学し、ロンドン出身の建築家ジョサイア・コンドルに学び、明治12年(1879)に卒業した。英国に留学し、バージェス建築事務所、ロンドン大学で学んだ。明治17年(1884)にコンドルが退官したあと工部大学校教授に就任した。明治31年(1898)に帝国大学工科大学学長に、明治35年(1902)に工科大学を辞職した。明治36年(1903)に葛西萬司と辰野葛西事務所を開設した。大正8年(1919)にスペイン風邪に罹患し、64歳で亡くなった。辰野金吾が最も設計したかった建物は、お…
吉野ヶ里遺跡公園の見学を終えて、佐賀市内で夕食をとり、武雄温泉を目指す。嬉野温泉という選択肢もあったが、より落ち着きのある武雄温泉に宿泊することにした。日もすっかり暮れたころに到着。宿は多喜男温泉尾ランドマークとなっている楼閣からすぐの街角にある。コロナ禍以降は宿泊のみで営業している老舗の「京都屋」旅館。チェックインをすまし、部屋へと向かう前にロビーに展示されている大正ロマンを感じさせる古い貴重なオルゴールやレコード、西洋の人形をはじめ様々な調度品を一渡り眺めてみる。落ち着いた雰囲気が日常とは異なる世界へのいざない旅愁を感じさせる。 用意されていた部屋は4人まで泊まれる和室。どういうわけかこの…
推しのファンミーティングに参加するために、東京行きを決断したりかさん! 自らに課したミッション‼(大げさ~~笑)を1つ、2つと順調にこなしてながら、東京行きの新幹線に乗るはずだったのに😱 思わぬところで人生最大の失態をおかしてしまいました。 ミッション3=東京行き新幹線に乗る!続き~ ミッション4=富士山を撮る ミッション5=東京駅を撮る 東京駅を近くから撮る KITTE丸の内から撮る ミッション6=東京駅丸の内南口の天井を撮る
海岸線「みなと元町駅」前の街路樹が花を咲かせていました。この白い花はコブシですね。 みなと元町駅がある栄町通りは、かつて神戸の金融の中心地として賑わった場所です。当時の建物の多くは震災後に取り壊されてしまったのですが、旧第一銀行神戸支店の外壁はみなと元町駅の1番出入り口として今も利用されています。ちなみに、旧第一銀行神戸支店の竣工は1908年(明治41年)、設計者は辰野金吾です。赤レンガに白御影石を組み合わせる特徴的な様式は辰野式と呼ばれていたそう。縁起が良いとされている赤と白は銀行の壁に適した配色だったのかもしれません。 赤レンガを背景にすると花の白さが際立ちます。たまたま駅の前を通っただけ…
市街地に戻ってきて、最初に向かったのは旧唐津銀行。ここは東京駅や日銀本店などで有名な辰野金吾監修の建物です。昨日行った武雄温泉楼門も彼の作品ね。 辰野金吾氏は唐津出身ですが、彼自身が建てたものはもう唐津には無いそうで、この唐津銀行建築の際にも多忙により建築ではなく監修になったそう。 ひな祭りが近いということもあって、建物全体を使ってイベントをしていましたよ。本当は静かにじっくり見たかったのだけど、入館料も無料なことだし、こうやってイベントで人を呼び込んで活性化するのは大事だよなと思いながら見ていた。 唐津といえば、唐津くんちが有名なんだけど開催は11月。でも曳山だけでも曳山展示場で見られるとい…
1週間のご無沙汰で~す。 ◆◆◆◆ ◆ ◆ 詩人立原道造のヒヤシンスハウスを見学 ◆ ◆ ◆◆◆◆ 埼玉県の別所沼公園内に到着。【写真①】 そこに詩人の立原道造が、自分の別荘として考えた小さな小さなヒアシンスハウスがある。ヒアシンスは、立原道造が大好きな花。【写真②③】 立原道造は詩人ですが、東京大学の工学部建築学科を卒業、辰野金吾賞を三度も続けて受賞している。【写真④】 美しい絵も描きます。とても、可愛いカラフルな詩も書いています。 週末だけ、通って来るとても精巧な別荘の図面を書いたが、それを建てる事無く、24歳で肺結核の為に亡くなる。 彼の没後66年後に、立原を愛した人々によって、彼が描い…
前回、御油駅から藤川駅まで歩いた。今回は藤川駅から岡崎公園前駅まで歩こうと思う。岡崎城下町は「東海道岡崎城下二十七曲り」と言われ、27回ものクランクがある。寄り道しつつ見失わないように、歩いていこうと思う。 1.十王堂 2.藤川の松並木 3.西大平陣屋跡 4.大平一里塚 5.丸石醸造 6.隋念寺 7.岡崎信用金庫資料館 8.菅生神社 9.岡崎城 初回記事はこちら↓ octoberabbit.hatenablog.com 前回記事はこちら↓ octoberabbit.hatenablog.com 1.十王堂 今日は藤川駅からスタートだ。 藤川駅 少しお腹がすいているのと、藤川宿の御宿場印をもらう…
若きフェノロサがもっと若い岡倉天心を従えて精力的に日本美術の再発掘をするのと同じように、同年輩のコンドルは狩野派の絵師にして浮世絵や戯画までこなす河鍋暁斎の弟子になり、日本文化の虜になります。お雇い外国人二人の来日は共に25歳。青年として来日してからの日本での研究が二人を成長させていきます。 明治政府は積極的にアメリカ、ヨーロッパに働きかけ、様々な分野の専門家を日本に招き、「近代化」を図りました。その結果、19世紀の終わりまでにイギリスから6,177人、アメリカから2,764人、ドイツから913人、フランスから619人、イタリアから45人の教師や技術者が来日しました。彼らは本格的な開拓が必要だ…
3月22日は、日本銀行本店本館が、落成式の日ですよ!! 特別な資格なしでも、どなたでも軽くつかいこなせる 手動ハンドリフトをご紹介致します。 構造はシンプルで操作が簡単!! 狭い場所でも運搬可能!! 電動・手動タイプが選べる!! 耐荷重は1500㎏~5000㎏と多様!! 倉庫、製造業、運送業、工場、物流、生産等に関わる所で重宝されております。 細い通路が多い現場にも問題なく通ることが可能!! 1882年に開業した日本銀行は、1896年2月29日に「日本銀行本店本館」を竣工され、同年の3月22日に落成式が実施されました。 建築設計を指揮したのは工部大学造家学科(現東京大学工学部)教授の辰野金吾氏…
~隋書が、魏志倭人伝から邪馬台国を削除していた~ 2024.3.18. 殿岡 誠一郎 魏志倭人伝によれば、邪馬台国は「山島」にあった。この「山島」こそが、倭人伝のキーワードであった。このキーワードをもとに、邪馬台国探求の旅が始まる。邪馬台国は、九州の北部沿岸にある“山”の麓にあったのだ。しかも、倭人伝にいう邪馬台国は、後世の中国の正史からは完全に無視されている。倭人伝が邪馬台国としたのは、邪馬台という地名の誤記または誤認、だった。 一方、中国歴代の正史は、各時代の日本の都の所在地を示していた。外交関係を結ぶためには必須の情報であるから当然であるが、それにとどまらず、中国の史書は、日本の歴史をそ…
萬世橋 撮影場所:昌平橋から 撮影日時: 2024:03:11 17:48:58 ISO感度:200露出時間:20 (20/1) 秒 露光補正値:0 EV 絞り:f/40 焦点距離:45 mm 神田川に架かる萬世橋。 現在の橋は昭和5年(1930)に震災復興事業の一環として架け直されたもので、長さ26メートル、幅36メートルの石とコンクリート混成のアーチ橋である。 先代の橋は関東大震災では被災したもののすぐに修復されたように、焼失というほどの大被害ではなかったのだが、新たに地下鉄を開通させるにあたって渡航工事で水路変更が必要だったことから解体され、現在の橋に架け直された。 神田川に沿って伸びて…
韓国へ旅行に行った。 毎年、家族の誕生祝で10月頃に旅行をするのが慣例になっているのだが、いろいろあって誕生日からは半年ほど遅れてこの時期となった。家族は海外に行ったことがないので、では手近でKPOPに親しみもある韓国がいいか、となった。 自分はと言えば、仕事で釜山の海雲台という場所に5年前一度だけ行ったきりで、ソウルははじめて。わずかに韓国語を学んだり、付随して小説を読んだり新書レベルでおおまかな近現代史に目を通したことがあるくらいで、ほとんど韓国に対する知識もない。ので、いざ韓国行きのチケットを手配しても、なかなか目的地やすべきことが定まらず、旅の焦点を結ばないでいた。 それが近頃、建築に…