プロ野球、中日ドラゴンズの選手。
右投左打、ポジションは外野手→一塁手。背番号は14→41*1番。
千葉県出身。
早稲田大学より1970年、ドラフト1位で中日ドラゴンズに入団。1年目からレギュラーに定着し新人王に輝く。
巧打の中距離打者として活躍し、1974年の巨人V10を阻止。セ・リーグ優勝に貢献。
1976年にイメージチェンジの発想により、背番号を変更。打率.355で首位打者を獲得。
1978年、大学時代から持病のアキレス腱痛が悪化しシーズン途中で2軍落ち。
有効な治療法が無く選手生命が危ぶまれたものの、日本酒を患部に塗ってマッサージする独自の療法を続け、
1979年9月23日対大洋24回戦(ナゴヤ球場)の7回に代打で登場してファンの大声援を浴びた。
翌1980年に打率.369で2度目の首位打者、カムバック賞を受賞し見事復活を遂げた。
1982年、近藤貞雄監督の下、セ・リーグ優勝に貢献。
以降、ドラゴンズの4番打者として、田尾安志、大島康徳、宇野勝らと共に強竜打線を支えた。
1987年、監督に就任した星野仙一に引退勧告され、現役引退。
フジテレビ・東海テレビの解説を務める。
1995年、西武ライオンズの打撃コーチに就任も、同年退団。
2004年、社会人クラブチーム、西多摩倶楽部の監督に就任。
2006年、千葉県柏市に硬式クラブ野球チームを結成し、監督に就任。
*1:イメージアップの為に、14「いいよ」から、41「よい」に変更。