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谷川浩司

(ゲーム)
たにがわこうじ

谷川浩司は、日本将棋連盟所属のプロ将棋棋士。段位は九段。棋士番号は131。十七世名人有資格者*1
1962年4月6日、兵庫県神戸市生まれ。若松政和七段門下。

概要

常に前進を心掛ける攻めの棋風で、その鋭い着想は「光速の寄せ」と呼ばれる。渡辺明竜王の憧れる存在。

  • 竜王位4期を含め、本戦通算12期、竜王戦1組連続18期、通算21期☆
  • 名人位5期を含め、順位戦A級連続30期☆
  • 棋聖位4期を含め、棋聖戦本戦進出通算38期
  • 王位6期を含め、王位戦リーグ通算25期
  • 王座1期を含め、王座戦本戦進出通算22期☆
  • 棋王位3期を含め、棋王戦本戦進出通算28期☆
  • 王将位4期を含め、王将戦リーグ通算22期

☆は現在在籍中又は進出中、確定を意味する。

戦歴

七大タイトル戦の戦歴を含めた経歴は以下の通り。
1976年、プロ入り。
1982年、史上2番目の早さで順位戦A級入りを果たす*2
1983年、加藤一二三名人より4勝2敗で名人位を奪取し、21歳の最年少名人に就く*3
1984年、史上最年少となる九段昇段を果たす。森安秀光八段を4勝1敗で退け、名人位を初防衛した後、米長邦雄棋聖*4に挑戦するが、3連敗し敗退。米長邦雄の棋聖位通算4期目を許してしまう。
1985年、中原誠王将*5との名人位防衛戦*6で2勝4敗で防衛に失敗。初めての無冠転落。約3ヶ月後、中原誠王座*7に挑戦*8するが、1勝3敗で敗退。
1986年、桐山清澄棋王に挑戦し、3勝0敗で 棋王位奪取。初めての無冠脱出。
1987年、高橋道雄王位との棋王位防衛戦で1勝3敗で防衛に失敗し、2度目の無冠転落。だが、その後の王位戦で高橋道雄王位*9より4勝1敗で王位を奪取し、棋王戦の借りを返す形で、約5ヶ月で2度目の無冠脱出を果たす。
1988年、高橋道雄棋王*10に挑戦した棋王戦*11は、3勝2敗1持将棋で棋王位を1年で奪回し、初めての同時二冠を達成。直後に始まった名人戦*12でも中原誠名人より4勝2敗で名人位を奪回し、初めての同時三冠を達成し、保持タイトルの格・量共に棋界の第一人者となる。しかし、3ヶ月後に森けい二九段との王位防衛戦で3勝4敗で敗れ、三冠の一角を崩され、二冠に後退。
1989年、南芳一王将との棋王位防衛戦で2勝3敗で防衛に失敗し、保持タイトルは名人位のみに。米長邦雄九段との防衛戦*13は4連勝で名人位を防衛。約3ヶ月後、森けい二王位に挑戦し4勝1敗で王位奪回、再び同時二冠を達成。
1990年、中原誠棋聖*14との名人位防衛戦*15で2勝4敗で敗れ、中原誠の当時初となる2度目の名人位復位を眼前で許してしまう。王位のみに後退。約3ヶ月後、佐藤康光五段との王位防衛戦は4勝3敗で退け、通算3期目の王位獲得。同時進行していた王座戦では3勝1敗で中原誠王座*16から王座奪取。名人戦の借りを返し、名人位失冠後約4ヶ月で2度目となる同時二冠を達成。直後に始まった竜王戦では羽生善治竜王*17に挑戦し、4勝1敗で竜王位奪取。2年3ヶ月振りに同時三冠を達成し棋界最大勢力者に返り咲いた。
1991年、中田宏樹五段との王位防衛戦は4勝2敗で退け、通算4期目の王位獲得。しかし、同時進行していた福崎文吾八段との王座防衛戦では2勝3敗1千日手で惜敗し、王座失冠、約1年で三冠の一角を崩され、二冠に後退。直後に始まった竜王位防衛戦では森下卓六段を4勝2敗1持将棋で竜王位を防衛。
1992年、南芳一棋聖より棋聖位*18を3連勝で奪取し、僅か3ヶ月で同時三冠を3度達成し、3度棋界最大勢力者に返り咲く。その約1ヶ月半後、南芳一王将*19より王将位を奪取*20。竜王・棋聖・王位・王将を含むタイトルの同時四冠を達成。しかし、その後の郷田真隆四段*21との棋聖戦・王位防衛戦*22では、棋聖戦は3勝1敗で防衛し、四冠の一角を堅持したが、 王位戦では2勝4敗で敗れ、約半年で四冠の一角を崩され、三冠に後退。羽生善治王座*23との竜王位防衛戦*24では3勝4敗1千日手で惜敗し、二冠に後退。
1993年、郷田真隆王位との棋聖位防衛戦*25では3勝0敗で防衛し、棋聖位3連覇。村山聖六段との王将位防衛戦では4勝0敗で王将位初防衛。しかし、同時進行で羽生善治棋王*26に挑戦していた棋王戦*27では2勝3敗1千日手で惜敗し、同時三冠復帰はならず。約4ヶ月後の羽生善治竜王との棋聖位防衛戦*28では1勝3敗で敗れ、棋聖位失冠となり、王将位一冠のみに。約3ヶ月後に羽生善治王座*29へ挑戦した王座戦*30では1勝3敗で敗退。
1994年、王将位防衛戦と並行して行われた羽生善治棋聖*31との棋聖戦*32では2勝3敗2千日手で惜敗したが、中原誠前名人との王将位防衛戦*33では4勝2敗で3連覇を達成。約4ヶ月後に挑戦していた棋聖戦では羽生善治棋聖*34との対決*35に1勝3敗で敗れ、約2ヶ月半後羽生善治王座*36との王座戦*37での対決に3連敗。
1995年、羽生善治竜王・名人*38との王将位防衛戦*39では羽生善治の同時七冠*40がかかっていたが、4勝3敗1千日手*41で王将位4連覇を達成し、羽生善治とのタイトル戦連敗を7で止め、七冠達成を阻止。
1996年、羽生善治竜王・名人*42との2年連続となる王将位防衛戦*43では、4連敗で敗れ、羽生善治の史上初の同時七冠達成を許してしまう。それは3度目の無冠転落であったのだが、約9ヶ月半後に羽生善治竜王*44に挑戦した竜王戦*45では4勝1敗で竜王位を奪回し、3度目となる無冠脱出を果たした。
1997年、羽生善治王将*46に挑戦した3年連続となる王将戦の対決*47では4連敗してしまうが、約4ヶ月後の名人戦*48では4勝2敗で羽生善治名人*49から名人位を奪取し、中原誠以来2人目の名人位復位を達成し、名人位通算5期目獲得により十七世名人の資格も同時に得た。これは約4年4ヶ月振り、3度目となる同時二冠達成の瞬間でもあった。5ヶ月後、真田圭一六段との竜王位防衛戦は4連勝で防衛を果たし、通算4期目の竜王位を獲得。。
1998年、佐藤康光八段との名人位防衛戦では3勝4敗で惜敗し、竜王位のみの一冠に後退。約5ヶ月後の羽生善治王座*50との王座戦*51では2勝3敗で惜敗し、直後の竜王位防衛戦では藤井猛七段に4連敗し、4度目の無冠転落。
1999年、佐藤康光名人*52との名人戦では3勝4敗で惜敗するが、直後の郷田真隆棋聖に挑戦した棋聖戦*53では3連勝で通算4期目となる棋聖位を獲得し、約8ヶ月で4度目の無冠脱出を果たす。棋聖戦との同時進行で挑戦権を獲得した羽生善治王位*54との王位戦*55では4連敗し、敗退。
2000年、羽生善治四冠*56との棋聖戦・王位戦*57では、防衛戦であった棋聖戦*58では2勝3敗で惜敗し、1年1ヶ月ぶりとなる5度目の無冠転落。同時進行していた王位戦*59は3勝4敗で惜敗。
2001年、羽生善治王将*60に挑戦した王将戦*61では1勝4敗で敗退。約4ヶ月後、丸山忠久名人に挑戦していた名人戦では3勝4敗で惜敗。
2002年、羽生善治王位との王位戦*62第1局目で最年少記録となる通算1000勝を達成、その勢いで4勝1敗で通算5期目となる王位獲得、約2年1ヶ月振りとなる5度目の無冠脱出を果たす。
2003年、羽生善治竜王・名人との王位防衛戦*63では、4勝1敗で防衛を果たし、王位獲得通算6期目。
2004年、丸山忠久棋王に挑戦した棋王戦では3勝1敗で通算3期目となる棋王位獲得を果たし、約5年9ヶ月振り、4度目となる同時二冠を達成。しかし、約5ヶ月後に羽生善治王座*64との3年連続対決となる王位防衛戦*65では1勝4敗で失冠し、棋王位のみの一冠に後退。
2005年、羽生善治三冠*66との防衛戦*67は3連敗で防衛に失敗し、2年半ぶりとなる6度目の無冠転落。
2006年、森内俊之名人*68との名人戦にて2勝4敗で敗退。
2009年4月、日本将棋連盟棋士会初代会長に就任(~2011年3月)。
2011年5月、日本将棋連盟理事に就任。
2012年12月、日本将棋連盟会長に就任。
2014年1月11日、第72期A級順位戦にて、上位8人に残れないことが確定し、A級からの陥落が決まった。名人在位を含むA級在籍連続32期は、故大山康晴十五世名人の44期に次ぐ歴代2位。

昇段履歴

1973年 5級
1975年 初段
1976年12月20日 四段
1979年4月1日 五段
1980年4月1日 六段
1981年4月1日 七段
1982年4月1日 八段
1984年4月1日 九段

タイトル履歴

  • 竜王 4期(第3期-1990年度〜4期・9期〜10期)
  • 名人 5期(第41期-1983年〜42期・46期〜47期・55期)−十七世名人(襲位は原則引退後)
  • 王位 6期(第28期-1987年度・30期〜32期・43期〜44期)
  • 王座 1期(第38期-1990年度)
  • 棋王 3期(第11期-1985年度・13期・29期)
  • 王将 4期(第41期-1991年度〜44期)
  • 棋聖 4期(第59期-1991年度後〜61期・70期)

*1:襲位は原則引退後

*2:史上最速の順位戦A級入りは加藤一二三の18歳A級八段

*3:最年少記録であり、今後更新される事がないと言われている記録

*4:当時、十段(後の竜王位)・棋聖・棋王を保持した棋界最大勢力者

*5:当時、王将・王座を保持

*6:中原誠とのタイトル戦対決

*7:この時点で名人・王座・王将を保持する棋界最大勢力者

*8:中原誠との2度目のタイトル戦対決

*9:当時、王位・棋王を保持し、中原誠名人・王座とならぶ棋界最大勢力者

*10:当時、十段(後の竜王戦)・棋王を保持しており、南芳一棋聖・王将と並ぶ棋界最大勢力者

*11:高橋道雄との対戦は、昨年の対決以来2年連続の対決であり、王位戦と合わせて対決は3度目

*12:中原誠との3度目のタイトル戦対決

*13:米長邦雄との2度目のタイトル戦対決であり、最後の対決

*14:当時、棋聖・王座を保持し、挑戦時点では谷川浩司と並ぶ棋界最大勢力者

*15:中原誠との4度目のタイトル戦対決

*16:当時、名人・王座を保持し、南芳一棋王・王将と並ぶ棋界最大勢力者

*17:羽生善治とのタイトル戦初対決

*18:当時、棋聖・王将を保持し、谷川浩司と並ぶ棋界最大勢力者

*19:谷川浩司は南芳一の保持する棋聖・王将に両方挑戦していた

*20:この対決で、南芳一とのタイトル戦の対決は3度目

*21:当時はC級2組在籍の若手であった

*22:同時進行であった

*23:当時、王座・棋王を保持

*24:この対決がタイトル戦2度目の対決

*25:郷田真隆王位が連続で挑戦した3度目のタイトル戦対決

*26:当時、竜王・王座・棋王を保持する棋界最大勢力者

*27:この棋王戦は3度目の対決

*28:この棋聖戦で4度目の対決

*29:当時、竜王・棋聖・王位・王座・棋王を保持する棋界最大勢力者

*30:この王座戦で5度目の対決

*31:当時、棋聖・王位・王座・棋王を保持する棋界最大勢力者

*32:この棋聖戦で6度目の対決

*33:中原誠との6度目のタイトル戦対決

*34:当時、名人・棋聖・王位・王座・棋王を保持する棋界最大勢力者

*35:この棋聖戦で7度目の対決

*36:当時、名人・棋聖・王位・王座・棋王を保持する棋界最大勢力者

*37:この王座戦で8度目の対決

*38:当時、王将位を除く全タイトルを保持

*39:この王将戦が9度目の対決

*40:タイトル戦当時、最初は羽生善治の七冠達成が世間で期待されていたが、タイトル戦の最中に起きた阪神大震災により、世間では神戸に在住しており、被災した谷川浩司に最後の一冠となった王将位を防衛して欲しいという流れに変わっていた

*41:最終局は千日手となり、その後、谷川浩司が4勝目を挙げた

*42:当時、王将位を除く全タイトルを保持

*43:この王将戦で10度目の対決

*44:当時、棋聖を除く全タイトルを保持

*45:この竜王戦で11度目の対決

*46:当時、名人・王位・王座・棋王・王将を保持する棋界最大勢力者

*47:この王将戦で12度目の対決

*48:この名人戦で13度目の対決

*49:当時、名人・王位・王座・棋王・王将を保持する棋界最大勢力者

*50:当時、王位・王座・棋王・王将を保持する棋界最大勢力者

*51:この王座戦で14度目の対決

*52:佐藤康光とは王位戦の対決と合わせて3度目のタイトル戦対決

*53:郷田真隆とは王位戦の対決と合わせて、4度目のタイトル戦対決

*54:当時、王位・王座・棋王・王将を保持する棋界最大勢力者

*55:この王位戦で15度目の対決

*56:当時、王位・王座・棋王・王将を保持する棋界最大勢力者

*57:棋聖戦第1局目が谷川浩司・羽生善治の対局100局目

*58:この棋聖戦で16度目の対決

*59:この王位戦で17度目の対決

*60:当時、棋聖・王位・王座・棋王・王将を保持する棋界最大勢力者

*61:この王将戦で18度目の対決

*62:この王位戦で19度目の対決

*63:この王位戦で棋界タイ記録となる20度目の対決

*64:当時、王座の他に準タイトルである朝日選手権者を保持し、当時の谷川浩司と並ぶ棋界ナンバー2の勢力を保持していた

*65:この王位戦で棋界新記録となる21度目の対決を達成

*66:当時、王位・王座・王将の他に準タイトルである朝日選手権者を保持する棋界最大勢力者

*67:この棋王戦において棋界記録更新となる22度目の対決を達成

*68:当時、名人・棋王を保持

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