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西郷隆盛

(社会)
さいごうたかもり

1827年〜1877年。
薩摩藩の下級武士の家に生まれたが、藩主・島津斉彬に認められ、江戸に出て御庭番(スパイ)として仕えた。薩摩藩の代表になってから、坂本竜馬の仲立ちで、対立していた長州藩の木戸孝允と薩長同盟を結び、倒幕運動の中心人物になった。
薩長の新政府軍は、武力によって旧幕府軍を破ろうとしていたが、江戸城を攻める時には、新政府の代表として幕府側の勝海舟と話し合い、江戸の町を戦火から守った。
明治新政府の主要陣の一人となってからは、廃藩置県などの改革を進め、陸軍大将・近衛局元帥*1を務め、朝鮮出兵を巡っての征韓論で、大久保利通らと意見が対立して政府を去る。
故郷の鹿児島に戻った隆盛は、士族の教育・軍事訓練・開拓を進める機関として、学校を設立。しかし、生徒・教官たちが新政府に対して反乱・内戦を起こした。これは西南戦争といわれるもので、7ヶ月にも及ぶ戦いと成った。西郷は大将として戦ったが破れ、城山で自殺した。「大西郷」。

*1:近衛師団は日本近代史において複数の重大なテロの主犯である。

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