友人でも恩人でも、肉親でもない他人が死んで喪失感を感じるのはそんなにないだろう。自分に取ってはチャップリン以来かも。あとは長嶋茂雄の引退の時くらい? その二人の出来事はいずれも中高校生の多感な頃だから、小澤の事は約半世紀ぶりの自分史上の出来事になるのか。 既に15年ほども実質的には引退状態だったのだから、いずれ遠くない時期にその時が来ることは承知していたし、申し訳ないが私の中では亡くなっていたに等しいのだけれど、いざ映像でその訃報が流れると頭の中がスカスカするような、体が半透明になるような感覚に襲われた。 なぜチャップリンか、なぜ長嶋(は御存命だけど)か、そしてなぜ小澤なのかと考えても明確な理…