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西宮球場

(スポーツ)
にしのみやきゅうじょう

兵庫県西宮市に存在した野球場。 別称、「西宮スタジアム」。
正式名称は「阪急西宮球場」。

1936年に「阪急職業野球団」*1のフランチャイズとして開設。

当時としては珍しい、日本初の二階建てスタンドと全面天然芝のグラウンドとしてプロ野球を中心に使われた。

1946年、甲子園球場がアメリカ軍の接収下にあったことから全国高等学校野球選手権大会がここで開催された。

1949年からは競輪場(西宮競輪。兵庫県市町競輪事務組合主催)としても使用。

1952年、ナイター照明設備を完成。

1958年・1963年には全国高等学校野球選手権大会(夏の高校野球大会)がここでも開催された。これは、両年が記念大会として開催されて大会出場校が当時のアメリカ領であった沖縄を含む47都道府県に拡大され、甲子園では消化しきれないための処置。

1972年9月、福本豊選手が当球場での南海ホークス戦で当時のシーズン世界最高記録となる105盗塁を達成。その試合で阪急のリーグ優勝も地元で決定し、花を添える。

1975年10月、日本シリーズ、当球場での第6戦で広島東洋カープを下し、4勝2分け0敗の成績でチーム発足40年目で念願の日本一。

1塁側スタンドから吊るされたくす玉割りやスコアボードの垂れ幕、グラウンド1周のセレモニーでファンから祝福された。

1978年に外野部分に関西初の人工芝を敷設。

1982年、スコアボードの電光掲示化(大型映像装置つき)

1984年、西武・田淵幸一の公式戦最終試合。試合終了後阪急・西武両チームの選手から胴上げされる。

1988年、阪急ブレーブスのオリエントリース*2への球団譲渡決まる。最終試合のセレモニーで山田久志福本豊の阪急黄金期を支えた両選手の引退が公表される。

チームはオリックス・ブレーブスとなったあとも引き続いて西宮球場をホームグランドにすることを発表。


1990年に内野も全面人工芝化され、西日本初のピッチャーマウンド昇降装置も設置。
しかし、この年限りでオリックス・ブレーブスがグリーンスタジアム神戸*3へフランチャイズ球場を移転。

1990年代前半には、正面入口手前にあった阪急電車の臨時きっぷ売り場が撤去される。
また、同時期、南東側に隣接する、ウエスタンリーグの試合を中心に使用された西宮第二球場、室内練習場、旧オリックス球団合宿所が閉鎖。*4

1992年、「阪急西宮スタジアム」に改称。関西におけるアマ野球、アメリカンフットボールの主会場となる。また、ラッキーゾーンを撤去し両翼が91→101mに拡げられた*5


1996年8月24日、阪神タイガース対広島東洋カープ戦を最後に、プロ野球公式戦での使用終了。


1998年、バックスクリーンのスコアボードを撤去し、旧スコアボード跡にガラス張りの競輪の特別観覧席を設置。

2002年3月で西宮競輪の開催を廃止。

2002年12月31日、施設の老朽化などを理由に営業を終了。*6

2004年9月1日から解体工事が始められ、2005年8月31日に完了。

2008年11月26日、跡地に阪急百貨店を核とする大型複合商業施設「阪急西宮ガーデンズ」がグランドオープン。

*1:戦後阪急ブレーブス→現オリックス・バファローズ

*2:当時。現・オリックス。

*3:現・スカイマークスタジアム。神戸市。

*4:跡地は兵庫県、西宮市、住宅・都市整備公団、民間などに相次いで払い下げられる。現在は公団・県営・市営住宅などが建ち並び、特に阪神・淡路大震災で自宅を失った世帯に対する震災復興住宅としての役割を果たしている。

*5:当時国内プロ野球公式戦開催球場では最長距離(ホームスタジアムの最長は東京ドームなどの100mだった。2005年拡張されたフルキャストスタジアム宮城が101.5mで最長記録を更新。

*6:近接地には、アメリカンフットボールの試合会場として使われた西宮球技場、同じ阪急の系列会社の(株)コマ・スタジアムが経営していたゴルフ練習場や室内プールもあったがこれらも同時に閉鎖、解体された。又、西宮北口駅にあったスタジアム関連の看板は撤去され、西宮北口の駅名の下に書いてあった「西宮スタジアム前」という文字も削除された。阪急百貨店の正面にあった巨大看板もはずされ、西宮スタジアム前にあった一時自転車預かり所の名称も変更された。

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