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血の日曜日事件

(社会)
ちのにちようびじけん

1905年1月22日、ロシア帝国の首都サンクト・ペテルブルクで起きた事件。
日露戦争の戦況不利を背景に国民の不満が増大し、僧侶ガポンに率いられた市民が
ツァーリ(皇帝)に生活の改善と議会の開設を請願したところ、軍隊が発砲し、
多数の死傷者を出した事件。これを契機に各地でストライキが広がり、6月には
ポチョムキン号水兵の反乱がおき、10月にはゼネストが決行され、鉄道や郵便などが
一時ストップスする。
この流れで大都市ではソヴィエト(労働者と兵士の協議会)が成立し、政府もヴィッテら
自由主義者の力もあり、ツァーリ(ニコライ2世)もようやく重い腰をあげ、10月30日勅令
(10月勅令)を出し、ドゥーマ(議会)の開設を約束した。
この一連の事件が、ロシア革命の口火を切ることとなる。

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