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蘆溝橋事件

(社会)
ろこうきょうじけん

日中戦争の発端になった事件。
 1937年7月7日の夜,北京郊外10kmの蘆溝橋付近で日本の駐屯軍1部隊が夜間演習中,数発の実弾の射撃を受け、点呼すると兵1名が行方不明であったので、対峙していた中国の第29軍37隊の兵士の発砲とみなし蘆溝橋城を砲撃、両軍の衝突となった。行方不明と思われた兵は20分後に戻ってきた。用便のため部隊を離れていたためという。当時,日本は華北5省を国民政府から分離する政策を進め冀東防共自治政府を発足させていたが、このような日本の侵略行動は中国国民の反日運動を激化させ、各地に不祥事がおこり不穏な状態にあった。事件そのものは両国の出先機関の不拡大方針で11日停戦協定が成立した。しかし近衛内閣は陸軍の強硬派の主張をいれ、同じ11日、内地3個師団の華北派兵を決定。これをうけて国民政府も全国にみなぎる抗日の気運に押され、華北への増兵を実施し同25日北京、天津で両軍再衝突。全面戦争となった。

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