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荒木大輔

(スポーツ)
あらきだいすけ

プロ野球選手。
右投右打、ポジションは投手。背番号は11番。

1964年5月6日生まれ。東京都出身。

調布リトルリーグ所属時代に世界リトルリーグ野球選手権大会優勝。

1980年に早稲田実業に進学。同年夏、東東京大会で好投し全国高等学校野球選手権大会に出場。

本戦でも好投を続け決勝進出を果たすも、愛甲猛率いる横浜高校に敗れ優勝を逃す。

1981年、ドラフト1位でヤクルトスワローズに入団。

4年目の1986年に先発ローテーション入りし、翌1987年には10勝をあげる。

1988年シーズン中盤にヒジ痛を発症。渡米し同年8月27日にフランク・ジョーブ博士執刀の手術を受ける。
1989年に再手術、さらに1991年には椎間板ヘルニアの手術も受け、丸4年を費やし1992年シーズン終盤の9月24日に1541日ぶりの1軍登板を果たす。

この荒木のカムバックが、阪神との過酷な優勝争いを繰り広げていたチームに団結力を与え、14年ぶりの優勝を遂げた。

1993年は規定投球回には届かなかったものの101回を投げ防御率は3.92、8勝(4敗)を挙げ、
2年連続のリーグ優勝に貢献、日本シリーズでも初戦で先発して勝利投手となり日本一に貢献した。

1995年、1軍登板が無くチーム構想から外れ、横浜ベイスターズへ無償トレード。

スワローズ時代の先輩である大矢明彦監督に拾われた形となったが、結果を残すことができず、

1996年、現役引退。

引退後はテレビ朝日、NHK野球解説者。

2004年〜2007年に西武ライオンズ投手コーチを務め、2008年より東京ヤクルトスワローズの投手コーチ。

大輔フィーバー

荒木は端正な顔つきが相まって女性ファンから絶大な支持を集めた。
早実高は荒木を不動のエースに据え春夏5季連続で甲子園に出場。
「大輔フィーバー」は社会現象となり、新生児の名前に「大輔」が流行した。
松坂大輔の母親も荒木の大ファンで「大輔」と命名したとされる。
 
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