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草森紳一

(読書)
くさもりしんいち

評論家、作家。本人は「物書き」を自称。1938年2月23日北海道帯広市生まれ。
1961年、慶應義塾大学中国文学科卒。在学中は「推理小説同好会」に所属する。同会の先輩には紀田順一郎、大伴昌司らがいた。
なお、卒業時に「出席ゼロ、試験満点」の草森を卒業させるかどうか教師たちの間で議論があり、奥野信太郎の反対を押し切り、中国文学者の村松暎(村松友視の叔父)が「自分が追試をうけさせる」と主張して、なんとか卒業することができた。
卒業後、婦人画報社で雑誌『メンズクラブ』『婦人画報』の編集者を務め、ファッション記事などを担当。『婦人画報』では、伊丹十三(当時は一三)の連載エッセイ「ヨーロッパ退屈日記」も担当している。またこの時代に、大倉舜二など当時の新進気鋭の写真家やイラストレーターとの交友を得る。
退社した1964年、『美術手帖』にアンリ・ルソー論「幼童の怪奇」(のち単行本『ナンセンスの練習』に収録)を発表。以来、さまざまな雑誌において、美術、マンガ、写真、デザイン、広告、文学、歴史、旅、都市など多岐にわたるテーマで執筆し、まさに「雑文の大家」というべき独特の評論活動を展開した。こうした専門にこだわらない姿勢は、全人的な生き方を示す中国文学から培われたものだという。
余談ながら、執筆量がピークを迎えていた30歳前後のエピソードとして、1966年のビートルズ来日時に、メンバーの泊まったホテルの向かいの部屋に陣取りながらもまったく取材をしなかったという話や、1968年に『話の特集』誌上で手塚治虫の功罪を論じたところ、それに対して手塚本人が徹夜で反論を書き、自ら同誌編集部に届けにきたという話などがある。
初の著書はマンガについての論考をまとめた『マンガ考』(1967年)。それ以降も、サブカルチャーを対象にしつつも中国古典の素養が強く感じられる『ナンセンスの練習』(1972年)や『円の冒険』(1977年)のほか、横尾忠則装丁による豪華本『江戸のデザイン』(1972年。翌年度の毎日出版文化賞受賞)、デザインを当時まだ新人だった羽良多平吉が手がけ、雑誌に掲載された小文ばかりを集めた奇書『狼藉集』(1973年)、テレビCM批評の嚆矢ともいうべき『悪のりドンファン テレビコマーシャル二〇年』(1976年)、新撰組を小説体の雑文で論じた『歳三の写真』(1978年/増補版、2004年)、写真論の集大成的著作『写真のど真ん中』(1993年)など著作は枚挙にいとまがない。
2004年には『ユリイカ』での丸7年にわたる連載をまとめた900枚に及ぶ大冊『荷風の永代橋』を上梓。あるテーマで書き進めるうちに、思いがけず大作となってしまうのもこの作家の特色で、その例としてはほかにも、『宣伝会議』での連載開始から単行本刊行まで10年近くを要した『ナチスプロパガンダ 絶対の宣伝』全4巻(1978〜1979年)や、1989年から1999年まで長きにわたって『広告批評』で連載されながらも生前には単行本化されなかった『中国文化大革命の大宣伝』上下巻(没後2009年に芸術新聞社より刊行)などがあげられる。
近年は、『en-taxi』第9号(2005年春号)で草森紳一特集が組まれたほか、同年には新刊『随筆 本が崩れる』(文春新書)、『アトムと寅さん 壮大な夢の正体』(四方田犬彦との共著、河出書房新社)があいついで刊行されるなど、読書人のあいだではちょっとした草森ブームが起きていた。
この間、『Quick Japan』で、真鍋博、古山高麗雄、田中小実昌など、過去に交友を持ったいまは亡き人たちについてつづる「記憶のちぎれ雲」(2004年〜2007年)、『en-taxi』で「ベーコンの永代橋」(2005年〜未完)、『ユリイカ』で「夢の展翅」(2007年〜2008年)といった連載を手がけている。
2008年3月、心不全のため死去。享年70。死亡は20日ごろと推定された。

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