どんな呪いになぜかかっているのか、という話をたびたびしている。こと旅先のカフェで交わすことが多いのは、ゆっくり向き合うきっかけになるからか。焼きたてのワッフルに刺し入れられたナイフの切先に、レモンソースがまとわって艶めく。 何を負って何と戦っているのか。それはどのように生まれどのように生きてきたのかという話に等しい。だからそれらについて語るとき、目的はただ淡々と知ることに留まる。答えを出したり問いを明らかにしたりするのではなく。 正しいとか正しくないとか、わかるとかわからないとか、どうして解けないのかとか、どうすれば自由になれるかとか。そういった世の中の、あるいは互いの物差しを沿わせるほど、向…