1181生まれ、1226年帰天のキリスト教の聖人(生態学者の守護聖人)。記念日は10月4日。
1181年、イタリア中部のアッシジに生まれる。
裕福な家庭に生まれ育ち青年期までは放蕩生活を送ったが、その後回心。神の声に従い、さまざまな奉仕を行ったのちに「小さな兄弟会」(のちのフランシスコ会)をはじめ、女子修道会や在俗信徒のための第三会などを設立し、多くの人に福音を宣べ伝えた。「平和の祈り」は、信徒だけでなく、未信徒にも愛される祈りとして有名である。
CHRISTABEL. Samuel Taylor Coleridge (1816)萩原 學(訳) CHRISTABEL. 前書き。PREFACE. 第一部 PART 1 第1部への結びTHE CONCLUSION TO PART THE FIRST. 第二部。PART II. 第二部への結びTHE CONCLUSION ΤΟ PART THE SECOND. 前書き。PREFACE. 次の詩の第1部はサマセット郡のストーウィで1797年に、第2部はドイツから帰国した後、1800年にカンバーランドのケズウィックで書かれました。以来、私の詩の力は、ごく最近まで、水を差された状態にありました。しか…
2024年4月9日更新 更新履歴 購読申込 広告申込 声 告知板 記事1本 沿革 地図 お問い合わせ 今週の記事 2024年4月14日付(第4715号) 1面 教皇「復活祭メッセージ」戦争の石を取りのける力【バチカン3月31日CNS】 教皇、刑務所で洗足式涙を流す女子受刑者たち【ローマ3月28日CNS】 能登半島地震で被災輪島、七尾教会で復活祝う わすれないつながりの現場から (349)石川・穴水町(あなみずまち)「今日は本当に良い一日だったよ」 2面 教皇、司祭らに促す「良心の呵責(かしゃく)」の意識を【バチカン3月28日CNS】 教皇、聖地の信者に手紙戦争に苦しむ人に寄り添う【バチカン3月…
印刷が世界を変えた 「世界を変えた印刷物」のリストを作るのは難題です。人文学が専門ではない私ですら、思いつく限りに書名を上げていけば数百~数千冊のリストになってしまうでしょう。私の本業である物語創作の観点でいえば、シェイクスピアやディケンズの著作はすべて世界を変えたレベルで重要です。しかし本書の趣旨からは離れるので、ここでの紹介は避けましょう。 また、ホッブスやロック、ルソー、モンテスキューなどの小中学校の社会科で習う思想家の著作をわざわざ紹介しても、学校の勉強のおさらいという趣が強くなりすぎてしまうでしょう。 ここでは私独自の視点から、絞りに絞って5冊を紹介します。 この5冊が紡ぐのは、人類…
はじめに 以下の記事は、2024年3月18日から30日までの13日間をかけて、サンチャゴ・デ・コンポステラに至る巡礼路の一つ、Camino Primitivo(古代の道/プリマティボの道)を踏破した経験をもとに、今後同じ巡礼路に挑戦したい!と考えている方々の参考になりそうな情報を、主観まみれを承知でまとめたものです。今の時代サンチャゴ・デ・コンポステラ巡礼に関する情報はネット検索すれば豊富に入手することができますが、日本語で、「古代の道」について、巡礼のリアルな実態をまとめた記事はほぼ存在しないのではないかと思います。そもそも日本人巡礼者はかなり少数なうえ、選ばれるのは「フランス人の道」等であ…
ある有名なコラムニストが、毎日世相や、政治家の批評記事を書いていると、うんざりすることがあるという。悲憤慷慨し、拳を振り上げてみるものの、自身は醒めた目で見ているという。そんな時は、動物園に電話を入れるのだそうである。慣れたもので係の人も、それでは一つ動物を集めて水泳大会でもやりましょうか、と言うのだそうである。そうして、「猿があんたに泳ぎが上手かったとは知らなかった」。と妙な発見をするという。そんなことをコラムにしても、突っ込みが足りない、問題意識が低いとお叱りを受けることもなかったという。まだ、日本もいろんな意味で余裕があったのであろう。・・・・カラス、 鳥 からす。カラスが好きだという人…
2024年3月3日放送 爆上戦隊ブンブンジャー バクアゲ1「届け屋のハンドル」 脚本:冨岡淳広監督:中澤祥次郎アクション監督:渡辺 淳特撮監督:佛田 洋(特撮研究所) 撮影協力は KIYOSUMI-SHIRAKAWA BASE 埼北映像スタジオ Pacific House 横浜のロケーションサービス www.pacific-house.jp TRUST FORT 公式サイト出てこないのと,2020年までは社長さんがNewsPics記事にコメント残してそうなことだけがわかりました 熊谷流通センター https://www.socio.jp/ 永田紙業 ↓サムネが眼科検査っぽくて nagata-s…
関口フランスパン目白坂本店で、フレンチトーストを食べる。 1888年(明治21年)に小石川関口教会(現関口教会)付属聖母仏語学校製パン部として創業。 関口フランスパン 東京カテドラル聖マリア大聖堂 1899年(明治32年)に聖母仏語学校「玫瑰塾」(まいかいじゅく)の付属聖堂として建てられ、1900年(明治33年)に関口小教区の聖堂となり、1920年(大正9年)に東京大司教座聖堂となった。 1945年(昭和20年)の東京大空襲によって焼失するが、ドイツのケルン教区の支援によって再建設が決定し、1964年(昭和39年)12月8日に完成した。丹下健三による設計で、空から見ると十字架の形をしている。 …
新国立劇場オペラ研修所 修了公演 フランシス・プーランク『カルメル会修道女の対話』 1794年7月、恐怖政治を推し進めたロベスピエールが国民公会に逮捕され処刑される少し前にギロチン刑に処されたコンピエーニュの16修道女殉教者を題材にしたオペラ。当時のフランス教会はこの殉教の少し後にロベスピエールが処刑されて恐怖政治が幕を閉じたことから、この殉教によって恐怖政治の終わりがもたらされたと考えたとか。 コンピエーニュの16修道女殉教者は現時点では福者ですが、2022年に教皇フランシスコによって列聖審査の開始が宣言されたということです。アサルトリリィ界隈から来た方は私が執筆したオリジナルリリィwiki…
2月に行った展覧会のまとめ 中之島香雪美術館 館蔵 刀剣コレクション 刀と拵の美民音音楽博物館西日本館関西国際文化センター 挿絵でたどる『新・人間革命』名場面展――創価教育編神戸市立博物館 コレクション大航海 蝦夷発→異国経由→兵庫行felissimo chocolate museum 甘すぎるドレス展 with mefelissimo chocolate museum アリカワコウヘイ!展 マシューくんのチョコレートパーク神戸海洋博物館 第22回帆船模型教室作品展カワサキワールド 大阪歴史博物館 描かれた人たち-尊崇・憧憬・追憶-大阪府立中央図書館 アート魚拓の世界あべのハルカス美術館 円空…
今週も祈祷会を大切に。御言葉をシェアします。ガラテヤ人への手紙3章1節。祈祷会では「愛の狂人」というメッセージに取り組んでいます。4人の人物がモチーフとして描かれたこのメッセージは、今から40年前に語られたもので、今日まで語り継がれています。このメッセージを通して、愛の御霊が激しく注がれたことは、聖イエス会の歴史に刻まれて、共通の「初めの愛」となりました。今年も「初めの愛」に立ち帰らせていただきたいです。心新たに。今週は聖フランシスコの部分を味わい深めました。
2009年 マカオ・香港の旅 その1 こんにちは、また旅の思い出を語ります。 2009年9月には何と5連休があった。 19(土)、20(日)、21(敬老の日)、22(国民の休日)、23(秋分の日)。 シルバーウィークだね。 そこを利用して4日間のツアーに参加した。 マカオは香港の対岸にある中国の特別行政地区。1999年まではポルトガルの植民地だったので、東西の文化の融合が見られる。また巨大なカジノがあり、「アジアのラスベガス」と呼ばれる。 9月19日 高松空港から香港expressで香港へ。 飛行時間は約4時間20分、時差は1時間。 香港からターボジェットに乗って、海路マカオへ。 夕食の広東料…
ふと道端の一本の樹を聖フランシスコは見た。その樹にはあらゆる種類の小鳥がいた。ついぞ今までにこの地方に見かけない鳥さえいた。地上にも。樹の下にもたくさんいた。このおびただしい小鳥を見た時、、天の霊がフランシスコに降り、フランシスコは弟子たちを振り返り「ちょっと待ってください。私は小鳥の姉妹たちに説教しましょう!!!」。と言った。そこでフランシスコは、地上の小鳥たちの方へ歩んだ。説教が始まるか、はじまらないうちに、樹の上の小鳥たちははばたいて、フランシスコの所に降りて来た。フランシスコの衣が何羽かの小鳥に触れるほど近寄っても、少しも身じろぎもしなかった。フランシスコは小鳥たちに話す。「私の姉妹、…
2022年9月の旅行記です。大学四年生の夏休みの大冒険。 この日はエクアドルの首都・キト旧市街を観光しました。 まずは聖フランシスコ教会から。この教会前広場は面積が大きい割にがらんとしていた。観光客や地元の人で賑わっている様子を想像していたのだけれど。朝一番だったからか、暇そうなパラソルの物売りやちらほら散歩客がいる程度で本当に静かだった。 聖フランシスコ教会 教会内に入ると、正面の祭壇は金ピカの派手派手装飾で、いくつもの精巧な彫像の指さす先には磔にされたイエスと聖母マリアの像があった。祭壇だけでなく、天井まで豪華なパターン装飾で埋め尽くされ、要所要所には宗教画や花柄が描かれていた。 ちなみに…
1812年1月のシウダー・ロドリーゴ強襲時・後のロバート・クロフォード将軍について、のべ5通の家族関係の手紙の和訳(手紙が書かれた時系列順に掲載)。 人物紹介や図表は別エントリにまとめました: 「【翻訳】軽師団長の訃報と家族」の付録――人物一覧と図表。 簡易時系列 訳文 1812年1月26日付、スチュアート少将からクロフォード中将宛の手紙――友の訃報、葬儀、旧交 1812年1月29日付、W・キャンベル大尉からクロフォード中将宛の手紙――友の最期の言葉、遺品 1813年2月10日付、クロフォード夫人からW・キャンベル大尉宛の手紙――夫の人柄。負傷時の様子を質問 1861年6月13日付、ショー・ケ…
グレゴリウス暦は「グレゴリオ暦」とも呼ばれますが、グレゴリウスはラテン語名ですので同じものと思ってください。 日本でグレゴリウス暦と言えば、 西暦年が4の倍数なら閏年 ただし西暦年が100の倍数なら閏年としない ただし西暦年が400の倍数なら閏年とする という置閏法で知られているかと思います。学校ではそのように教えています。 グレゴリウス暦以前の暦は古代ローマのユリウス・カエサルが定めた「ユリウス暦」で、閏年は4年に一回ですから、グレゴリウス暦は他2項を追加した分だけ精度が上がっているという事。 日本でのこの置閏法の説明は、グレゴリウス暦の内容というより、明治に公布された太陽暦導入に関する太政…