昨日の記事の最後に利根運河を行く銚子丸の画像を貼りましたが、利根運河全盛期には利根川側の銚子丸と江戸川側の通運丸がそれぞれ別の会社で覇を競ったそうです。通運丸は、車輪状の推進器を船の両翼につけた外輪船という姿からか、たいへんな人気だったらしく、当時の錦絵にも描かれました。 実は昨夏、佃島ウォーキングでこの船を作った造船所の跡地を訪れて居ます。 佃島散策 - Kaccinのひとり言 この石川島資料館の地は、平野富二が明治9(1876)年10月に石川島平野造船所を開設したところで、昭和54(1979)年に閉鎖されるまでの103年間、船舶・機械・鉄鋼物の製造工場でしたが、最初に建造したのが通運丸でし…