戦国武将。1574年〜1607年。中納言。 家康の次男(実際には双子)であるが、庶子とされ、長男信康の死後は三男の秀忠が嫡子とされた。 秀吉の養子となって一字を与えられ羽柴秀康となるが、後に結城晴朝の養子となって、結城家を継ぐ。嫡男は松平忠直。 性格的には兄信康に似て武勇に優れた剛胆な気質だったとされる。関ヶ原合戦後に越前75万石を領したが、将軍職が秀忠に譲られたことに落胆して死期を早めたとも言われる。
徳川家康の次男でありながら、歴史のページにひっそりと記された一人、結城秀康。彼の名前は、時代の巨人たちの陰に隠れがちですが、その生涯はドラマチックで、学ぶべき教訓に満ち溢れています。結城秀康は、武勇に優れ、義を重んじる人物として知られています。秀康の生涯は、家康に冷遇され、徳川家康の次男でありながら、家康の後継者となることはありませんでした。 また、徳川姓を名を乗ることも許されませんでした。しかし将軍にはなれなかったものの、豊臣秀吉には愛され、武勇と義心に溢れたものでした。今回はそんな彼の生涯をじっくりと紐解いていきましょう。 秀康の物語には、戦国時代の混沌とした背景の中で、一人の武将がどのよ…
母に欺かれていた家康 NHK大河ドラマ「どうする家康」は第44回「徳川幕府誕生」が特別なオープニングと共に11/19に放送された。今回だけのスペシャルバージョンだそうな。今回は1600年の関ケ原の戦いが終わってのひととき、というよりも1611年に手が届く10年もの期間がブワーッと一気に巻き気味に描かれ、家康の母・於大、股肱の臣の平平コンビ(本多忠勝、榊原康政)、そしてドラマでは出てこなかったが家康の息子らが死んでいった。 この間、大坂方の豊臣秀頼が確実に成長していく。一方、家康は天下を返さぬための手を打っていった。 あらすじを公式サイトから引用する。 家康(松本潤)は大坂城で、関ヶ原の戦勝報告…
家康は摩利支天、お万は手作りの子授け観音? NHK大河ドラマ「どうする家康」は第19回「お手付きしてどうする!」が1週間前の5/21に放送された。また1週間遅れで書いている。スミマセン。あと少しで日曜昼の4K放送、第20回が始まる。滑り込みセーフか。 個人的には家康の人生に大きな教訓となったはずの三方ヶ原合戦の直後の19回だったから、家康の脳内に潜入してその内省の様子がつぶさに描かれたら興味深かったのになーと思ったが、山田孝之演じる服部半蔵も「笑ってはいけない城勤め」で参上するし、息抜き的なコミカル回の印象だった。とはいえ、今後に続く不気味な仕込みもありつつ。 まずは、公式サイトからあらすじを…
お万の方が、1574年、宇布見(浜松市西区)の中村家で産んだとされる結城秀康。幼名は於義伊(おぎい、於義丸)でした。これは、魚のギギに似ていたことから名付けられたといいます。 ギギは、ナマズ目の魚ですが、どんな魚なのでしょうか?ギギは、義義と書くそうです。体長30cmにまでなるナマズの仲間で食用です。ギーギーと鳴くことから名前がつけられたのでしょう。でも、近畿地方以西にしか生息しないということで、遠江や三河の地では馴染みのない魚だと考えられます。東日本(神奈川以北)にはギバチ(義蜂)という魚がいます。また、三河湾には小型のネコギギという種もいますが、現在は絶滅危惧IB類 (EN)になっています…
こんばんは! 都内在住アラフィフ主婦のnicoです。 ひとり時間を楽しんでいます。 歴史小説にハマっています。 理解が深まればいいなと思い、 できる限り江戸時代から時系列に 作品を選んで読んでいますが、 まだ初期の段階なので、 戦国末期から江戸時代初期を 描いた作品を読むことが多いです。 今回は植松三十里著、 『家康の子』。 家康の次男で 越前松平家の祖である 「結城 秀康」について 描かれた作品です。 正直、秀康の存在は知りませんでした。 「徳川将軍家と御三家・御三卿の系図」 というものを見ていた時に、 「徳川 家康」から線が引かれ、 小さく「次男・結城 秀康」と 書いてあったので、 初めて…
家康に疎まれたとされる次男の秀康 今回の主人公は結城秀康。家康の次男として生まれながらも、家康に疎まれて秀吉の元に人質に出され、結局将軍位を継いだのは弟で三男の秀忠になったという不遇の人物だったとされるが、果たしてその真相は。 結城秀康 結城秀康が誕生したのは家康が三河と遠江を治める中堅大名だった1574年に浜松城下で生まれる。幼名は於義丸。家康にとっては信康以来16年ぶりの男子だったのだが、家康は於義丸に会おうともしなかったといわれている。この理由については於義丸の生母である於万の方が築山殿の腰元だったために築山殿の嫉妬を恐れたと言われている。しかし歴史家の加来耕三氏によると後世に作られた全…
福井城本丸への入口御本城橋 福井城説明パネルより 96回目ですね、今回は福井県にある福井城です。 福井城は、姫路城にも匹敵する規模の広大な城郭でした。 残念ながら、現在は本丸周辺の幅30mを誇る濠と高石垣だけが遺構として残っている平城です。 元の北庄城は、戦国武将・柴田勝家(しばた かついえ)が美貌の愛妻お市の方とともに最後を遂げたことでも有名な城ですね。 その城域を取り込んで築城されたのが、福井城です。 別称は北庄城(きたのしょうじょう)、福居城(ふくいじょう)、葵城(あおいじょう)。 「続日本100名城」(第137番)に選定されています。 福井城へは2001年8月6日に初登城し、それ以後も…
城下町 数正達は、ひと通り下見が済むと一旦大阪に戻り、城造りの計画と準備に取り掛かった。この城は、徳川に対する包囲網のひとつであるが、秀吉の大阪城に倣って権威と実戦に備えた雄大な築城計画を進めた。 そして、秀吉の許しを得ると建築資金の援助を受け、秀吉のお墨付きで城郭・神社仏閣を専門とする 堂宮大工を奈良や京都、堺から松本に派遣される事が決まり、石工、瓦師、土木工なども各地から集め 多くの職人を確保することが出来た。また、城郭の細工用金物、三州瓦の調達や運搬の協力も得ることが出来た。加えて、地元の大工、人足、資材確保の準備も万全でなくてはならない。これについては長男の康長を中心に家老らが事前に地…
4泊5日の福井・金沢旅行、1日目。 9時20分に羽田空港発のJAL185で約1時間、10時20分に小松空港に到着。 空港には、恐竜博士、こまQピアノ、安宅の関 弁慶像があった。 外に出ると、黄砂が酷い。 元祖ソースカツ丼、ヨーロッパ軒 豊島分店で、トリオ丼(カツ1枚、エビフライ1枚、メンチカツ1枚)を食べる。 http://yo-roppaken.gourmet.coocan.jp/ 越前つるきそば本店も候補になったが、木曜日が定休日だった。 https://www.echizen-tsurukisoba.com/ 福井駅西口広場は恐竜広場となっている。 福井は恐竜王国とも呼ばれ、日本で発見さ…
4月11日(木) 94日目 昨夜はぐっすり眠れました。昨夜は電気ケトルをポタ電に差しっぱなしでバッテリー消費しちゃったのか残量ゼロです。お湯が沸かせません。幸い道の駅にポットがあったので使わせてもらいました。なんか昨日より人が多い。やっぱ道の駅が開いてるかどうかで人に流れは変わるのかね。出発です。まずはめがねミュージアムへ。周辺はめがねばかりです、さすが鯖江。でもめがねフレームだけで最低2〜3万円くらいするので手がでません。道の駅・西山公園へ、ほぼレッサーパンダのための動物園があります。見に来てた若い女子は「かわいい〜、かわいい〜」しか発声してませんでしたw。 めがねミュージアムに来ました。周…
微計画遠征 2024年4月3日。遠征2日目。あちこち遠距離を動くわけではないので、ゆっくりスタート。 MO福井は獲得済みなので「少しでも多くの駅を!」と早めに動く必要なし。 観光できる遠征って素晴らしい✨(笑) ふらりと7時頃福井駅周辺に出没。 【本日の予定】 恐竜博物館→勝山駅からバスで越前大野駅方面へ。途中越前大野城に寄り、越前大野駅から一乗谷へ。越前大野城は取りこぼしても駅のポイントで攻略可能。(見事に大雑把) 朝のお散歩 恐竜博物館の予約時間は9:00~10:00入館なので、テキトーにお散歩。 朝の恐竜。沈黙。 福井城址入り口。昨日と大体同じ辺りから。 結城秀康公。福井藩の祖だったんで…
信長の野望出陣のイベントで指定された城を巡る旅、最終日の4日目。前日は前の記事↓ tatsuru.hatenablog.com 朝に敦賀から福井へ移動。新幹線ではなく、新幹線と同時にできた3セクのハピラインふくいで。 福井市 一乗谷 帰り 福井市 福井といえば恐竜駅前には恐竜たちが動いてて大迫力。恐竜博物館、いつか行ってみたいなぁ。 福井といえば路面電車路面電車の方は駅メモコラボ。今回はタイミングが微妙で乗らず。 柴田勝家を祀ってある商店街に突如現れる北の庄城址。ちょっと遺構も出たらしいけど、基本的に燃え落ちてしまってて、隣には福井城の堀の跡が出てきてる場所。隣の資料館は人が少ないからか、ボラ…
2024年04月04日 北の庄城と福井城 信長から越前を任された柴田勝家が1575年北の庄城を築く。 ここは九層の天守を持つが七層の安土城をしのぐ天守であったという。 1583年の賤ヶ岳の合戦に敗れた勝家は3000の兵とともにここにこもり、秀吉に敗れてお市の方と勝家は自害した。 現在は勝家神社の周辺に石垣が残り、面影はない。 小さな資料館があるが開館前の時間(0900)であったので見ていない。 九層の天守 北の庄城 石垣 柴田神社 本丸があったという 前田利家は信長から配備された柴田勝家の寄騎の武将であった。勝家が秀吉と対立するようになると微妙な立場に置かれる。利家が秀吉の側に付いたのは知って…
やっとの思いで福井駅に到着しました。ここからが青春18きっぷの旅本番です!? (本当は乗りたかった越美北線)
刀剣乱舞のグッズ・コラボ情報(大体3/23~4/5)の個人的まとめ。刀剣乱舞関係でない日本刀などの情報も。 公式Xの情報がほとんどです。気づかない情報もたくさんあるかも。時間があるときにまとめて更新するスタイル。 個人的な覚書なので所感が書かれてる場合があります。情報を並べているだけなので、とてもごちゃごちゃしてます。 刀剣展示情報カレンダーに以下の展示情報も追加。 那覇歴史博物館「王家の宝剣」2024年9月6日~10月28日 福岡市博物館「安宅切」「圧切長谷部」「日光一文字」 「黒田家伝来の刀装具」2024年11月6日~12月22日 玉名市立歴史博物館こころピア「よみがえる同田貫」2024年…
刀剣乱舞のグッズ・コラボ情報(大体3/14~)の個人的まとめ。刀剣乱舞関係でない日本刀などの情報も。 公式Xの情報がほとんどです。気づかない情報もたくさんあるかも。時間があるときにまとめて更新するスタイル。 個人的な覚書なので所感が書かれてる場合があります。2.5関連の情報は収集対象ではないので、あしからず刀剣展示情報カレンダーに岐阜県博物館の「脇指 銘 二王」の展示(6月下旬まで)と東京国立博物館で開催される特別展「旧嵯峨御所 大覚寺 ―百花繚乱 御所ゆかりの絵画―」の情報も追加しています。 刀剣乱舞・日本刀関連 グッズ・展示情報まとめ 5月発売予定 華こよみ絵巻 第一弾の木製スタンド&トレ…
天方城本郭に建つ城址碑 天方氏が14世紀の末期頃に築いた城も当時は天方城と呼ばれており、区別する場合は、そちらを天方本城、こちらを天方新城と呼ぶ。 天方9ヶ村を支配した天方氏は、15世紀末期の今川氏の遠江への伸張以降、今川家臣として活動していた。しかし、永禄3年(1560)の桶狭間の合戦で、当主義元が信長の急襲によって討たれると、跡を継いだ氏真は家中を御し切れず、今川氏の支配体制は退勢となっていく。 そんな中、今川家中の有力国衆として臣従していた松平元康は、今川氏の城代が治める城となっていた本拠岡崎城を回復し、やがて家康と改名して今川氏から自立した。こうして外交の独立性を取り戻した家康は、信長…
こんにちは sannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。 今回お参りさせていただいた遠江の神社は浜松市中央区にある県内で唯一『志那都比古神(しなつひこのかみ)』と『志那都比売神(しなつひめのかみ)』を祀る神社『息(おき)神社』です。
皆さんこんにちは、シンです。 東海道ポタリング旅【岡崎宿〜三条大橋編】は2日目に突入です。2日目は亀山宿まで移動しましたが、今回は宮宿(名古屋)から桑名宿までを記します。 2024年2月14日(水) 外は雲一つない快晴、気温も上がるようですがそれでも朝はまだ冷えていたので防寒対策は入念にします。ちなみに名鉄イン名古屋金山には数は多くないですがコミックコーナーがありました。これはとてもありがたいサービスですね。おかげでちょっと夜更かししてしまいました。 ホテルエントランス横にあるコミックコーナー。タイトルは少ないが今話題のものが揃えられている。 呪術廻戦でまだ読んでいなかった24巻、そして今一番…
こんにちは、勘矢です。 今回は松江松平家について調べたことをまとめました。 1. 出雲松江松平家 (1)姉崎・大野・松本を経て松江へ (2)江戸前期の藩主 (3)江戸中期の藩主 (4)江戸後期の藩主 1. 出雲松江松平家 (1)姉崎・大野・松本を経て松江へ 松江松平家は結城秀康の三男直政からはじまる。大坂の両陣に兄忠直の麾下で出陣し戦功を立て、越前国内で一万石を分与された。1619年に一万石を加増されて兄忠昌の旧領上総姉崎二万石となった。1624年に改易された兄忠直の旧領から三万石を加増され、越前大野五万石となった。1633年に二万石を加増され、信濃松本七万石となった。 出雲松江の京極家が改易…
刀剣乱舞のグッズ・コラボ情報(2/19~2/28)の個人的まとめ。刀剣乱舞関係でない日本刀などの情報も。 公式Xの情報がほとんどです。気づかない情報もたくさんあるかも。時間があるときにまとめて更新するスタイル。 個人的な覚書なので所感が書かれてる場合があります。2.5関連の情報は収集対象ではないので、あしからず 刀剣乱舞・日本刀関連 グッズ・展示情報まとめ 3/24まで サントリー美術館「織田有楽斎展」 3/9~ みんなのくじ 刀剣乱舞ONLINE 御伴散歩 ~御伴くじ~ 2/28~3/10 わんぱく刀剣乱舞 みんないっしょにわんぱくたいむ ~第二弾~ アニメ「刀剣乱舞 廻」先行上映会決定 2…
皆さんこんにちは、シンです。 東海道ポタリング旅【岡崎宿〜三条大橋編】、今回は池鯉鮒宿です。 39番目・池鯉鮒宿 歌川広重 東海道五十三次之内池鯉鮒 夏首馬市 国道1号の跨道橋を渡って反対側へ回るともうひとつ、名鉄名古屋本線の跨道橋がありますがそれは渡ってはいけません。御林の交差点を左斜め方向に進むと日本橋から数えて39番目の宿場町、池鯉鮒宿があります。 池鯉鮒宿の東入口にある石碑 池鯉鮒は「ちりゅう」と読みます。ここにある御手洗池は殺生禁断の池であったため鯉や鮒が多かったことから、知立を「池鯉鮒」と書くようになったそうです。一種の言葉遊びで発想的には「夜露死苦」とか「仏恥義理」みたいなもんで…