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精神科病院

(社会)
せいしんかびょういん

癲狂院(後述)、旧精神病院
2006年、「精神病院の用語の整理等のための関係法律の一部を改正する法律精神病院の用語整理法)」の制定で変更になった。
精神科領域(精神疾患知的障害発達障害てんかん)の治療や生活アドバイスなどを行う。
日本の場合、外来施設に比べて巨大な入院施設を伴うことが多くそのほとんどが民間病院である。入院施設には大きく分けて閉鎖病棟開放病棟がある。また人権に関する不祥事が起きることで有名である。一部の精神障害者患者会によれば銅像がある病院は危ないと警告している。土地の安い郊外に建設されることが多い。かつては窓に鉄格子を設置して外見はまるで刑務所であった。今は厚い強化ガラスに交換されていて少ししか開かないよう作られている。その怪しさから廃病院は廃屋マニアの探検スポットとなっている。
リハビリ施設としてはデイケアナイトケアショートケアがある。病院によっては精神障害者家族会があるところもある。

一概には言えないが全体的に見ると、精神科病院に「入院」する場合、病気の「治療・改善」よりも一般社会からの「隔離」が優先されているところがまだまだ多く、
該当患者を社会復帰させるためのシステム・施設・人員が揃っている場所は稀。
政策により入院部門は他の科より少ないスタッフで運営できるようになっていた。

外国ではイタリアが精神科病院の廃止に成功した*1一方、一党独裁国家(どことは書かないが中国とか北朝鮮とか)で政治犯を収監する場所となっている。日本では民間病院が大半を占め、入院施設の収入が大きく、廃止どころか病床数の減る見込みは少ないとされている。日本の政党の中には党上層部の考えに背いた党員などが強制的に連れてこられるとの証言もある。

キチガイ病院脳病院などと呼ぶ場合もある。

日本初

日本で初めての公立精神科病院は京都府京都市左京区南禅寺境内に設けられた京都癲狂院(今の財団法人川越病院京都市左京区浄土寺馬場町)*2で、日本初の私立精神科病院は加藤癲狂院である。
京都癲狂院は財政援助がなく1882年に廃院となった*3
日本で最古の精神科病院は東京都立松沢病院*41875年養育院の中に精神障害者を収容する癲狂室が設けられ、1879年東京府癲狂院として独立した*5

癲狂院

てんきょういん。明治時代の精神科病院の呼び名。医制発布により設立の規定をされた。
精神病者精神障害者)を入院させるための施設である。
当時精神病には治療法がなく、治療を行うというよりも、閉じ込める事が精一杯で、手錠足錠保護衣などを用いて患者拘束していた*6
戦前に精神病院となり2006年、精神病院の用語の整理等のための関係法律の一部を改正する法律(精神病院の用語整理法)の制定で精神科病院となった。

癲狂院、後の精神病院に入院できるのはごく一部に限られ、多くは自宅にて牢屋のような場所に閉じ込められる私宅監置にされたが戦後、精神衛生法によって廃止される。

触法精神障害者の治療

触法精神障害者の治療は「心神喪失等の状態で重大な他害行為を行った者の医療及び観察等に関する法律(医療観察法)に基づき、
精神科病院のうち厚生労働大臣が指定した指定入院医療機関指定通院医療機関が行う。
入院治療の場合、国立病院機構の病院または都道府県立病院が指定される。

都市伝説

俗に「精神科病院へは、黄色い救急車で迎えにこられる」などと言われるが、まったくの都市伝説である。病院のサービスカーがたまたま黄色だったため。

ルポ・精神病棟 (朝日文庫 お 2-1)

ルポ・精神病棟 (朝日文庫 お 2-1)

著者がアルコール依存症と偽って精神科病院へ入院、取材した本。

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