かつて1981年から2011年まで*1活動していた劇団。
主宰、演出、座付脚本家は鴻上尚史。
運営母体は株式会社サードステージ。
劇団名の由来
第三舞台という劇団名の由来について、鴻上は以下のように語っている。
「まず第一舞台がありまして、それはスタッフとキャストが力を合わせた舞台のこと。第二舞台は観客席。第三舞台は、第一と第二の舞台が共有する幻の舞台。劇団の自己満足に終わらず、お客さんが付き合いで来ているだけでもない、最上の形で共有する舞台、ということで第三舞台と名付けました。
(鴻上尚史/早稲田演劇新聞 1981年 VOL7より引用)
略歴
- 1981年、当時早稲田大学演劇研究会に所属していた鴻上尚史、大高洋夫、岩谷真哉らによって旗揚げ。旗揚げ時の演目は「朝日のような夕日をつれて」。以後、「宇宙で眠るための方法について」「デジャ・ヴュ」などを上演し、早稲田大学内で有数の劇団に成長。
- 1984年、中心役者の一人だった岩谷真哉がバイク事故により他界。公演直前だった「プラスチックの白夜に踊れば」公演を中止する。
- 1985年、「朝日のような夕日をつれて’85」で紀伊國屋ホールに進出。
- 1986年には観客動員が1万人を越え、小劇場系劇団の代表格として知られるようになる。また1991年には演劇で初めて「クローズド・サーキット」を実施した。
- 1991年11月、「天使は瞳を閉じて〜インターナショナルヴァージョン〜」をイギリス・スコットランド・アイルランドににて上演。以後、3年間の活動停止に入る。
- 1994年、「スナフキンの手紙」にて活動を再開。この作品で鴻上は岸田國士戯曲賞を受賞する。「パレード旅団」「リレイヤーIII」「朝日のような夕日をつれて’97」を上演後、鴻上のイギリス留学により再び劇団としての活動を停止する。
- 2001年、20周年記念&10年間封印公演「ファントム・ペイン」を上演後、以降10年間の劇団公演封印を宣言。
- 2011年、劇団公演封印を解除。新公式サイト「http://www.daisanbutai.com/」を立ち上げ、活動を再開した。11月に復活公演を紀伊国屋ホールなどで上演予定。
- 2011年7月21日、同年11月から2012年1月にかけて行われる公演「深呼吸する惑星」を最後に、同劇団を解散することを発表
- 2012年1月15日、「深呼吸する惑星」福岡大千秋楽をもって解散した。
劇団員・関係した俳優
1994年の活動再開以降、劇団員の構成は積極的に公表されなくなり、結果として2011年に解散まで明示されることはなかった。「私家版第三舞台FINAL」のインタビューや、過去の鴻上尚史が応じたインタビューなどにおいて断片的に垣間見ることができる。
公式サイトによると、1998年に行われた鴻上による意識調査に対し以下の俳優が劇団員であると表明した。俳優名の右にあるのは、マネージメントを担当しているプロダクション名。なお、現時点でサードステージに所属しているのは鴻上尚史のみである。
また、これまでに第三舞台に所属していた主な俳優、人物は以下の通り*2。
- 名越寿昭 俳優を引退し、現在は高校教諭
- 伊藤正宏 俳優を引退し、現在は放送作家
- 安田雅弘 山の手事情社主宰
- 池田成志 俳優。吉住モータース所属
- 京晋佑 俳優を続けていたが、現在は引退し実業家になった模様*3
- 戸田山雅司 脚本家
- 筧利夫 スタッフ・テン所属*4
- 藤谷みき 俳優・声優。所属当時は本名の「藤谷美樹」として活動。J.CLIP LIBERTA所属
- 勝村政信 シスカンパニー所属
- 利根川祐子 エアロビクス・インストラクター*5
賞歴
1987年、「朝日のような夕日をつれて」で第22回紀伊國屋演劇賞・団体賞受賞。
1992年、「天使は瞳を閉じて」でゴールデンアロー賞演劇賞受賞。
1995年、「スナフキンの手紙」で岸田國士戯曲賞を受賞。