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立原正秋

(読書)
たちはらまさあき

高井有一による、立原正秋 の評伝。第33回毎日芸術賞受賞。

立原正秋 (新潮文庫)

立原正秋 (新潮文庫)

立原正秋

(読書)
たちはらまさあき

作家・小説家。随筆も多くする。
1926年1月6日、生まれ。19808月12日、死去。
早稲田大学専門学校・法律学科に入学、戦後小説家を志し文学部国文科の聴講生として学ぶ。鎌倉文士のひとり。食通としても知られている。
「剣ケ崎」「薪能」芥川賞候補、「漆の花」で直木賞候補になり、1966年、「白い罌粟」で第55回直木賞を受賞。自ら「純文学と大衆文学の両刀使い」を宣言して中間小説で流行作家となった。
また編集者としての手腕もあり、同人雑誌「犀」を立ち上げたり「早稲田文学」の編集長を引き受けるなどし、吉田知子古井由吉ら多くの作家、評論家を世に送り出した。

彼はその創作生活で多くの作品を残したが大人の愛を主題にした小説を中心に特に女性に人気があり、主な作品に小説「冬の旅」「夏の光」「きぬた」「春の鐘」「残りの雪」、自伝的小説「冬のかたみに」、日本全国の庭をめぐったおりの随筆・作庭評「日本の庭」、世阿弥の「風姿花伝」への想いあふれた随筆「秘すれば花」、「心のふるさとをゆく」「夢幻のなか」「風景と慰籍」など。
全集は「立原正秋全集」全24巻・別巻1、彼の評伝としては、高井有一立原正秋』(新潮社。毎日芸術賞受賞)、新潮日本文学アルバム〈55〉『立原正秋』など。長男は料理人で著書も多い立原潮(たちはら・うしお)、長女に随筆・小説家の立原幹(たちはら・みき)。

経歴は複雑で、1926年(大正15年)1月6日朝鮮慶尚北道(現・大韓民国慶尚北道)安東郡西後面台庄洞に、父・金敬文、母・権音伝の長男として生まれる。名は金胤奎。その後、野村震太郎、金井正秋と名乗り、米本光代と結婚して日本国籍を得て本名・米本正秋、通り名はペンネームの「立原正秋」で、亡くなる2ヶ月前に「立原正秋」への改名が認められこれが本名となった。大酒飲みと美食好みが祟り1980年(昭和55年)8月12日、食道癌のため54才の若さで死去。鎌倉・瑞泉寺に墓所がある。

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