プロ野球、大洋ホエールズの選手・監督。
右投右打、ポジションは投手。背番号は17番*1。
1934年2月3日生まれ。岡山県出身。
岡山東高、明大を通じて土井淳とバッテリーを組み、大学通算で33勝18敗を記録。
1956年、土井淳とともに大洋ホエールズに入団、1年目から25勝を挙げ、新人王を獲得した。
以降、ホエールズのエースとして活躍し、9年連続で2桁勝利を記録した。入団から9年連続50試合以上登板はプロ野球記録。
1960年、21勝10敗、防御率1.75でチーム初優勝の原動力となり、MVPを獲得した。
1962年には72試合登板、26勝の自己最多を記録。
1960年代を代表する投手で、島田源太郎、鈴木隆、稲川誠とともにホエールズ投手陣を支えた。
アンダースローの投手として知られ、1962年9月25日と9月26日には、2リーグ分裂後では唯一の2日連続完封を記録した。
また、ダブルヘッダーで1日に2勝を通算5回記録し、これもプロ野球記録である。
1967年、現役引退。酷使による活躍で実働わずか13年であった。
1968年より、大洋ホエールズのコーチに就任。1974年まで務める。
1975年、大洋ホエールズの監督に就任。1976年退団。
退団後はテレビ神奈川の野球解説者を務めた。
1998年の横浜ベイスターズ優勝時には涙を流して喜んでいた。
2000年8月12日、逝去。
2004年、野球殿堂入り。
*1:ホエールズ・ベイスターズのエースナンバーである