夏目漱石の作。大正4年1月〜2月「朝日新聞」 数え年49歳になった漱石が、「小さい私と広い世の中とを隔離している」硝子戸の中にとじこもって、年頭の随筆として、比較的気楽に、筆まかせに書いたもの。 「こころ」と「道草」との中間における、漱石の思想や感情を知るのに、非常に役立つ作品であり、「道草」への道を暗示しているという点でも興味深い。 参照「読書への招待」旺文社
277.『坊っちゃん』怒りの日々(4)――お金と数字のマジック 愛と生そして死。書出しの1字たる「親」。漱石文学のキーワードはこれだけにとどまらない。 金と女。漱石の小説は金と女の話であるといって過言でない。 この世に女について書かれない小説は無いであろうが、同じような勢いで漱石の小説にお金の話が出て来ない小説は無いと断言出来る。深刻な金銭トラブルから単に物の値段まで、先に『坊っちゃん』には金の話が百ヶ所出てくると書いたが、金銭に淡白というイメジが強い坊っちゃんにしてこれである。漱石はなぜお金のことばかり書くのだろう。 蓄財に興味があったとはとても思えないし、実業家を単なる金銭の奴隷と見て軽蔑…
書棚の中に2、3日前、懐かしいカヴァーの文庫本が目に留まりました。森鴎外と同じ津和野出身の絵本画家、安野光男作の柔らかい瓦屋根の家と今は懐かしい変圧器が乗っている電柱、及び何の葉でしょう?薄緑の植物が実に生き生きと茂っている絵のカヴァーの本です。夏目漱石作の随筆『硝子戸の中』(新潮文庫)です。20年振りでしょうか?ざっと読んでみたら少し残っている昔読んだ記憶と異なった感じを受けました。 成程なるほどとその行間まで漱石の気持ちが染み渡る、何か枯れた雰囲気が良く伝わって来ました。それだけ自分も年取ったということでしょうか?この随想は大正四年一月から二月まで三十九回にわたって朝日新聞に連載されたもの…
4月10日 朝、新晴。ここ一週間の雲を追い払ったような青空。 零下6度なり。処々に霜柱立つ。 昨夜二時頃、ふと目覚めしとき気になりて凍結防止ヒーターのスイッチを入れしこと、まったく正解なり。 日中、気温12度。日差し暖か、終日好晴。 読書、荷風日記。枕上、漱石「硝子戸の中」。 剰語自分はやるくせに人がやると怒る人は世に多けれど、大国の首脳もまずこの程度の人間であると心得おくべし。
4月9日 昨日からの雨止まず。雨の日は樹幹の苔も活き活きとしたパステルグリーンなり。 気温十度。この雨の中でもシジュウカラ囀る。 作曲の続き。テレビは1日中マカやスッポンサプリの宣伝なり。 昼過ぎ雨あがりたるが風強まる。外で大きな物音したりて出て見れば、朽木倒れたり。 木を仰ぎて何処から折れたるか確かめるに、けだし頭上10メートルから落下せし朽木なり。斯くの如きものに頭を打たれて死ぬこともありなん。 日中気温二度、朝から八度も下がりたり。 森の処々に黄色い花咲く。壇香梅なりや。 夕方空明るくなりて、西の山の空を俄に黄色に染めて日は沈む。夜零下一度。 枕上、夏目漱石「硝子戸の中」を読む。
397.『道草』番外編(3)――長谷川如是閑『初めて逢った漱石君』 田岡嶺雲と共にもう1人、少し年下だが漱石の同時代人として長谷川如是閑を取り上げたい。 長谷川如是閑は明治大正、そして昭和の戦前戦後に亘って、「ジャーナリスト」であり続けた珍しい人物である。ジャーナリストは権力とその腐敗した部位を人々の前に明らかにして、個人としてそれと闘うことが職務である。といってことさらジャーナリストは自称するものでもないだろう。自称・吹聴する前に本人が常態として世俗(権力)と対峙していなければならない。愛のために世俗と対峙する人のことを仮に小説家と呼ぶとすれば、言論でそれを行なう人のことを、周りがジャーナリ…
鴨川に架かる御池大橋の西詰、橋の袂の歩道の端に「春の川を隔てゝ男女哉」と刻んだ焦げ茶色のなだらかな山のような句碑がある。その前文に「木屋町の宿をとりて川向の御多佳さんに」とあり、木屋町三条上ルにあった北大嘉(きたのだいが)に宿を取ったのは夏目漱石であり、「川向の御多佳さん」は、土建業の旦那に落籍(ひか)され、二年で死別した後「一中節をよくするほか、絵画・文芸のたしなみもあり、尾崎紅葉、谷崎潤一郎の知遇を得た」(『漱石全集第ニ十巻』注解 岩波書店1996年刊)祇園の芸妓、お茶屋大友(だいとも)の女将磯田多佳である。夏目漱石は大正五年(1916)十二月九日に亡くなるが、その前年の大正四年(1915…
ネットの音楽オタクが選んだ2023年のベストアルバムの150枚の全順位、それから国内150枚、海外150枚の順位をまとめました。 2023年ベストアルバム 2023年国内ベストアルバム 2023年海外ベストアルバム
昨日は母方の叔父の告別式があったため仕事を休み、千代田線に乗って綾瀬まで行く。 本を持たずに出てきたので、車内ではポッドキャストで博多大吉とカンニング竹山の福岡吉本時代の話を聞く。現在のコンプライアンスではあり得ない話だが、昭和ではなく平成の話だから感覚的にはつい最近のことなんだよな。時代は変わった。 綾瀬といえば“デカダン文庫”という魅力的な古本屋があった街。その店を訪ねた時以来の綾瀬である。この日記を検索してみると2005年4月24日にデカダン文庫を訪れているので、それ以来の綾瀬だと分かる。この日はその後に東武線の五反野駅近くにあった“四季書房”にも寄っている。これらの古本屋は今はもうない…
久恒啓一(蜃気楼大学一日学長) 「蜃気楼」というまぼろしが、辰年の今年から形になっていく 現在は全世代が力を発揮する、「全員参加型社会」へ向かう途上にあります。世界は大国主導ではなく、あらゆる国々が新しい秩序への参加を模索しています。そして日本においても、様々な形で秩序の崩壊がみられるようになってきました。社会を構成する「個人」が主役になっていく過渡期を迎えています。 「蜃気楼」は、暖かい空気と冷たい空気の境目に現れる、光の屈折によってみえるまぼろしです。司馬遷の『史記』に、「蜃」の吐く「気」によって、「楼」があらわれ、その気の広がりによって「宮」ができる。そういう記述があります。 未来という…
394.『道草』先行作品(9)――『硝子戸の中』 ・第4集『硝子戸の中』 大正4年1月~2月 前作『思い出す事など』から丸4年。作物のなかった「死の明治44年」から4年経過した大正4年、漱石4冊目の随想集はまた、最後の随想集ともなった。毎年繰り返す大病とカムバックに、何か思うところがあったのだろうか。『満韓ところどころ』『思い出す事など』は書いた目的が限定的ではっきりしていた。『硝子戸の中』は何のために書かれたか。何が残された時間の少ない漱石に、こんな「閑文字」を書かせたのか。同じ年に『道草』が書かれたことだけは動かしようのない事実であるが。1回「硝子戸の内」 多事の世の中に敢て閑文字を並べる…
読む本がなくなって、Kindleで知財切れの短いものを漁って。「硝子戸の中」ってエッセイだったのか。 39の短い文章からなっていて、繋ぎ合わせると漱石晩年の「吾輩は猫である」みたいな趣もある。幼少期の回想なども興味深い。 最後、漱石は、振り返って、自分の欠点などを書けなかったことをまあ仕方ないというように微笑する。こういう態度も「則天去私」につながっているのかもと考えるのは穿ちすぎか。 <もっと卑しい所、もっと悪い所、もっと面目を失するような自分の欠点を、つい発表しずにしまった。(中略)そこに或人は一種の不快を感ずるかも知れない。しかし私自身は今その不快の上に跨がって、一般の人類をひろく見渡し…
ちょっと前から読んでいた夏目漱石の随筆集を読み終えました。夏目漱石も生きづらさに悩んでいたんだなということが端々に感じられる1冊でした。 (function(b,c,f,g,a,d,e){b.MoshimoAffiliateObject=a; b[a]=b[a]||function(){arguments.currentScript=c.currentScript ||c.scripts[c.scripts.length-2];(b[a].q=b[a].q||[]).push(arguments)}; c.getElementById(a)||(d=c.createElement(f),d.s…
392.『道草』先行作品(7)――『思い出す事など』 漱石は旅行記に向かない作家である、と前の項(本ブログ道草篇16)で述べたが、(12月1月問題という)季節の連想でいえば、これは漱石の文学的出発点が俳句にあることと関係していよう。俳句は説明を嫌う。俳句は(本ブログ道草篇6でも引用した寺田寅彦へのレクチュアによると)扇の要(集注点)を書くものである。百何十度だかに開いた扇の扇たる部分は、読者に想像させる。想像させないまでも、その広がった部分はわざと書かない(詠まない)。 それが漱石(に限らないが)の小説のリズムを生む。吾輩に名前が付かない理由を書かない。坊っちゃんの無鉄砲が父親譲りなのか母親譲…
作家の伊集院静の訃報が入った。享年73。このブログに登場した伊集院静の著書に関する記述を記して追悼する。夏目漱石と正岡子規に関する本、そしてエッセイを読んでいる。 2014-10-20 伊集院静「ノボさん 小説・正岡子規と夏目漱石」(講談社)を読了。 ノボさん 小説 正岡子規と夏目漱石 作者: 伊集院静 出版社/メーカー: 講談社 発売日: 2013/11/22 メディア: 単行本 この商品を含むブログ (9件) を見る 伊集院静が正岡子規全集を2年簡にわたって読み込んで、それからおもむろに筆をとって小説に仕立てあげた作品である。この全集は素晴らしい出来だったそうで、子規の魅力が満載だと伊集院…
十一月なのにまだまだ暖かい。だから十月ももちろん暖かかった。これぐらいの暖かさの河川敷にはバッタがめちゃくちゃいる。晴れた日には近くの草むらからバッタが飛び出してくるのが、地面に映る影で分かるときがある。十月に近所の河川敷を歩いたときには、雑草がボーボーに生えていて、その中から飛んできたバッタが顔面に当たり、体がビクッと縮こまった。顔面に当たったバッタは石みたいに硬かった。気候がいいから暇になると河川敷を散歩したくなるのだけれど、普通に虫は苦手だから、この一件以降河川敷から足が遠のいていたのだが、先日久しぶりに河川敷に寄ってみよう、虫がいそうだったら別ルートを歩くことにして一旦は様子を見てみよ…
391.『道草』先行作品(6)――魔の12月1月 前項の続き。『満韓ところどころ』はなぜ(漱石作品なのに)面白くないか。 だいたい漱石は作品上でも実生活でも、年末年始とか厳寒の時期に近づくと碌なことにならないようである。露骨な譬えで申し訳ないが、命日が12月9日であることがその典型であろうか。その他思いつくままに挙げると――、・『猫』 苦沙弥と寒月の正月の散歩になぜか芸者の話が割り込んで来る。すれ違ったときに声を掛けられたり、羽根突きをするのを覗いたりする。意味不明で不思議な文章である。 翌る年、珍野家はまた猫のいない正月を迎えることになるだろう。現実に漱石の家で4年間生きた主人公の猫の寿命は…
390.『道草』先行作品(5)――『満韓ところどころ』 ・第2集『満韓ところどころ』 明治42年10月~12月『永日小品』以外に明治42年にはもう1つ、『満韓ところどころ』(全51回)という未完の紀行文集がある。『永日小品』は新春に書かれたが、『満韓ところどころ』は漱石の好きな秋の話である。 漱石は明治42年9月~10月の1ヶ月半、(英国留学を除けば)最も長くて遠い満洲朝鮮の旅に出かけた。帰国早々同じハルピン停車場で伊藤博文が撃たれたが、二つながらに中村是公が立ち会っていた偶然にもめげず、(疑り深い漱石であれば、背恰好の似た自分が何かの練習台に使われたのではないかと不安に感じてしかるべきところ…