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石本秀一

(スポーツ)
いしもとしゅういち

戦前・戦後のプロ野球指導者。
右投右打、現役時のポジションは投手。背番号は30番。

1896年11月1日生まれ。広島県出身。

広島商業のエースとして活躍後、関西学院高等部商科に進むが中退し、満州に渡り大連実業団入団。
1923年に帰国し、広島商の監督に就任。1929年より甲子園2連覇を果たす。

1936年、大阪タイガースの2代目監督に就任。1937年秋と1938年春の2回、優勝を果たす。

ダイナマイト打線の生みの親として知られる。

1940年名古屋金鯱の監督、1942年大洋軍、1943年西鉄軍のコーチを経て、1948年、国民リーグ結城ブレーブスの監督に就任。

1949年、日本野球連盟に復帰し、太陽ロビンスの監督に就任。

1950年、広島カープ創設に伴い、初代監督に就任。「金はいらない。野球人生の最期を古里広島で終えたい」との名言を残す。

選手獲得にあたり、たる募金などで自ら資金熱めに翻弄。
選手を支え、球団の後援会を発足させ、球団解散の危機、幾度の存亡の危機を乗り越える。

1953年、監督を主将である白石勝巳に禅譲し、退団。

1966年、ヘッドコーチとしてカープに復帰。同年、退団。

1972年、野球殿堂入り。

1975年の優勝の際はテレビで観戦。その後、古葉竹識との握手の際に、感激の涙を流す。

1982年11月10日、逝去。


「千本ノック」の考案者として知られる。

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