俳優
80年代のプロ野球、西武ライオンズの選手。
現在の名前は「木村竹志」。
右投右打、ポジションは投手。背番号は32番。
1961年7月10日生まれ。和歌山県出身。
箕島高校で嶋田宗彦とバッテリーを組む。
1978年、1979年と4期春夏連続で甲子園に出場。
1979年夏の大会では3回戦で星稜高校と延長18回の激闘を演じた。
高校野球史上唯一である公立高校の春夏連覇に貢献。甲子園通算14勝は当時の日本記録。
卒業後、嶋田と共に住友金属へ入社し、都市対抗で優勝を果たし、橋戸賞を受賞。
1983年、ドラフト3位で西武ライオンズに入団。
1984年、野球留学。
1986年、中継ぎ投手として一軍に定着し、黄金時代に貢献した。
しかし、持病のヘルニアに苦しみ、登板機会が減少。
1988年、現役引退。故郷に戻りみかん販売を手がける。
1993年、「木村竹志」と改名し、スポーツジムを経営。
少年野球の指導にも力を入れている。
2003年12月24日、和歌山野球振興協会・夢クラブを設立し、理事長を務める。