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真田幸隆

(社会)
さなだゆきたか

【1513〜1574/幸綱/弾正忠/一徳斉/攻め弾正】

真田一族の祖であり、真田家家紋「六紋銭(六連銭)」の考案者と云われる、戦国武将。真田昌幸の父であり、真田信之(信幸)・真田幸村(信繁)兄弟の祖父に当たる。
武田二十四将の一に数えられた資料もある。
初め信濃小県の小豪族であり、甲斐の武田信虎とは仇敵関係にあったが、後、信虎を追放し家督を相続した武田晴信(後の武田信玄)に臣従する。
地縁を利用した謀略戦に長け、信濃先方衆として数々の功績を上げた。特に、北信濃の豪族・村上義清を相手に信玄が二度の攻略に失敗した砥石城を、1551年、調略によって、僅かな手勢とたった一日という時間とで開城させたことは有名。
「武田家の陰の軍師」「信玄の名参謀」と形容されるその知謀は、上杉謙信をして「我、弓を取らば真田に劣らぬが、知謀は七日後れあり。真田いる限り信濃をとること安からぬ」と言わしめたほどと伝わる。
信玄の没後、後を追うように病死した。

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