大昔の話だが、大学受に失敗して一年浪人生活を送ったことがある。兄弟三人で、兄が二浪の末に東京の私立大学で、しかも、アルバイトがし難い理系の大学に入ったため、私には、厳しい条件が課せられていた.すなわち、経済的に余裕がないので、授業料の安い国公立大学で浪人期間は一年のみ。しかも、岐阜の大学浪人は、名古屋の予備校に通うのが定番であったが、やはり経済的な理由から自宅で勉強すること、いわゆる宅浪に限るというのだ。高校の教師であった父は、だらだらと名古屋の予備校に通ううち、遊びを覚えて、2浪3浪人巨星との邂逅と次第に意欲を亡くしていく例を沢山見てきた上での判断だったようだ。 だが、始めてみると、宅浪は厳…