日本の室町幕府における役職的な身分の1つ。将軍が殿中における宴席や他家訪問の際に随従する人々のことである。管領家の一族や有力守護大名に限定されていたため、一種の社会的身分としての価値が生じて幕府内の職制にも反映されて管領に次ぐ席次を与えられるようになった。その後、戦国時代に入ると、朝倉孝景や北条氏康など守護大名ではなくかつ在京して将軍に随従する事もない地方の戦国大名が任じられる例も増えて、役職としての意味合いは希薄化して大名の格式を示す身分としてのみ存在するようになった。
男達の喉を切り裂いて血の海に沈めてやりたい。だが、心はこれ程に憎みながら拒めない己の躰こそ九にも八にも切り裂いて七里之濱に沈めたい。 朝日文庫時代小説アンソロジー『悲恋』 思慕・恋情編 作者:細谷正充,池波正太郎,南條範夫,北重人,山本周五郎,諸田玲子,澤田ふじ子,安西篤子 朝日新聞出版 Amazon 永亨十二年(1440)九月 鎌倉山之内 上杉邸 「俺はいつも兄貴の陰になる」 関東管領上杉兵庫頭清方は、全てに苛立っていた。その苛立ちは、昨日今日の苛立ちではない。 「俺の苛立ちはあの時からだ…」 清方は、寝間の上に胡座をかき、眼前の寝酒を徳利で呷る。 上杉憲実、清方兄弟は、関東管領山内上杉家の…
室町幕府の三管領家畠山氏の分かれである、能登畠山氏の居城で、五大山城のひとつ。 城主であった畠山氏は、もともとは桓武平氏秩父氏流で、武蔵国男衾郡畠山郷の荘司となったことに発する。源平合戦の際は、剛直清廉な坂東武者の典型といわれた重忠が当主で、一ノ谷の合戦では自ら愛馬を背負って下った話などが平家物語によって知られ、鎌倉幕府成立後は有力な御家人となるが、後に対立した北条氏によって討たれた。 ここで平姓の畠山氏の嫡流は断絶してしまうのだが、重忠の未亡人は足利義純と再婚して義純が畠山家の名跡を継いだため、以後の畠山氏は源姓となって存続し、足利氏が室町幕府を成立させると、その一族として繁栄する。 畠山氏…
室町幕府の、御成、おう飯、的始、祇園会御成、八朔、石清水八幡宮の放生会、弓馬故実家小笠原氏の成立、伊勢流故実、御相伴衆、御供衆、偏いおよび毛せん鞍覆と白傘袋免許、官途、について書いてる。
はじめに 前回の記事 「永正元年「薬師寺元一の乱」の経緯とその背景(一)関連する出来事の一覧」 では、「薬師寺元一の乱」の概要を説明するとともに、一次史料の記述を元に関連する出来事の一覧を提示しました。 今回からはその出来事の一覧を前提として、いくつかの論点を質問形式で、より詳しく考察していきます。 薬師寺元一は細川政元を廃して養子澄元を擁立するために謀反を起こしたのか? 意外なことに、薬師寺元一は朝日新聞社が1994年11月に発行した『朝日日本歴史人物事典』に立項されているらしく、その経歴について以下のように説明されているようです。 室町後期の武将。細川政元の被官。通称与一。長盛の長子。伯父…