プロ野球、南海ホークスの選手。 登録名「勝雄*1」。
右投右打、ポジションは投手。背番号は22番。
1935年7月3日生まれ。山形県出身。
米沢西高校*2から1955年、南海ホークスに入団。
2年目の1956年より一軍に定着、8年連続2桁勝利を記録。
1960年代を代表する投手として、ホークスの黄金時代に大きく貢献した。
1968年には31勝をマークし、最多勝と最優秀防御率の2冠を獲得。
現時点での最後の30勝投手として知られる。
温厚な性格で、同期入団の野村克也の良き理解者として知られた。
1971年、現役引退。
引退後は朝日放送の野球解説者を務める。
1984年、阪神タイガースの投手コーチに就任。1985年、退団。
1986年、読売ジャイアンツの投手コーチに就任。1988年、退団。
1991年、近鉄バファローズの投手コーチに就任。同年、退団。
退団後、再び朝日放送の野球解説者を務めていた。
また、マスターズリーグ、大阪ロマンズの選手・コーチとしても活躍。
2005年2月6日、敗血症のため大阪府堺市の大阪労災病院で死去、享年69。
2006年3月16日、山形県民栄誉賞を受賞。
2011年、現役時代の功績により野球殿堂入りを果たす。