ゲームクリエイター、ゲームプロデューサー。 1983年、坂口博信に誘われてスクウェア(現スクウェア・エニックス)に入社。以降、ファイナルファンタジーシリーズなどの開発に携わる。 エグゼクティブ・プロデューサー ソフトウェア開発担当、コーポレイト・エグゼクティブ オンライン事業推進担当などの役職に就いていた。 2012年7月、健康上の理由でスクウェア・エニックスを退社。
FF2の話をしたい。 いつにも増して、関係者に失礼な記述が含まれているという自覚があります。あらゆる資料を精査して書いていますが、その結果憶測も非常に多い記事となっております。事実誤認などがありましたら伝えてください… これまで書いてきた4つの記事と関連はあるが、とりあえずひとつ。 読まなくても大丈夫ですが、このFF1の開発経緯を調べた記事は、FF2の補足情報としても役立つ可能性はあります。 そして今回FF2本編、および小説『ファイナルファンタジーII 夢魔の迷宮』のネタバレも最後のほうまで書いてます。ご了承ください。ラスボスが誰かくらいは、まあ知ってるでしょうが。 スタッフロールを確認 河津…
このブログでは、数ヵ月前から延々とFFの歴史を追いかけるということをやってきた。それは「FF1の歴史上の意義とかちゃんと評価してる本あるのか?」という疑問から生じた話だった。 流れで目に入ってきたのがこの本だった。 >国産RPGクロニクル ゲームはどう物語を描いてきたのか? >日本でRPGはなぜ人気をえたか。物語はゲームでどう表現されるようになったのか。>国民的RPG、ドラクエとFFの功績をあらためて徹底検証! ドラクエとFFの歴史を中心に追いかける本。責任上、読まないわけにいかない気がしたし、以前から考えていた「FF1の歴史的扱いが載ってる本ぜんぜんない問題」についても反証のひとつになる、か…
前回の記事で『ファイナルファンタジー』の1作目の開発経緯を示した。 長く書いてきたこのFFの歴史シリーズというか、「FF史を追ってわかったことシリーズ」も、今回で一旦区切りをつける。 1987年12月に発売した『ファイナルファンタジー』は成功をおさめ、スクウェアは危機を脱したと考えられるが、その出荷数は最終的に52万本だと伝えられている。十分なヒット作だった。だがドラクエ1にも遠く及ばず、ドラクエ3と比べれば2割も売れてない。『ゲゲゲの鬼太郎 妖怪大魔境』の半分にも届くことはなかった。 これでも、FFはドラクエのライバルとしては当時有力なほうだった、と思う。だがスクウェアはまだ頑張る必要があっ…
ここまでの記事 ここまで、FF1の発売付近のファミコンRPGの状況を振り返ってきた。87年、ドラクエ3を前にFF1がどのようなゲームとして受け入れられたかは見えてきたと思う。 今回はユーザーに見えていない部分、FF1はどのように開発されたのかを追う。 人集め 膨大な量の参考資料 石井浩一から始まった FF1の開発期間 人が増えてくる FF1のスタッフ ストーリー制作過程 『スクウェアのトム・ソーヤ』について 社外シナリオライターの起用 ドットで描いてきた 中山美穂のトキメキハイスクール プレゼン、Aチーム結成の時期 Bチームについて 石井浩一の入社時期 河津秋敏の入社時期 影響を与えたゲーム …
前回の記事の続きになる。 今回扱うのは87年のFF1と、翌年のドラクエ3の話が主。その前提として、87年あたりのファミコンRPGの状況は前回の記事を踏まえていますが、読まなくても話がつながるようにしたつもりです。わからないことがあったら、前回の記事を読めばわかるかもしれません。 FF1の発売まで 歴史的評価をしたくない FF1の新しいところ ドラクエ2より劣ると思われる部分 FF1は本当に新しかったのか? FF1のまとめ 堀井雄二の予言 ドラクエ3のすごさ ゲーム史のバランス 次の記事の話 補足 参考文献