境川の北側にある茜部の長森縣神社から、境川を越えて南側、その昔は尾張葉栗だった柳津の地へ。そこで聖徳太子にまつわる伝承地を辿る。 光澤寺は、6世紀に聖徳太子が創建した太子寺。その鎮守として、境内に穴太部(あなほべ)神社を創建したと。つまり、穴太部天神を祀る式内社の尾張国葉栗郡の穴太部神社のことだ。 ここがその有力な論社として、祭神として古天神の天穂日を祀ってること、聖徳太子が由来となってることから極めて説得力がある。式内論社のもうひとつは、木曽川の下流へ南下した一宮の玉ノ井にある賀茂神社だ。地名に穴太部があるくらいで、こちらの由来は薄っぺらく祭神からも消えている。強いていえば、先に述べたように…