ガダルカナル島 ニューギニアの東隣にニューブリテン島があり、1942年1月に日本軍は英濠軍を破り占領した。ラバウルに要塞が造られ敗戦まで存続した。水木しげるはラバウルに送りこまれ、かろうじて生き残っている。 そこから1000km南東にガダルカナル島があり、オーストラリア攻略のためそこをも要塞化しようと日本軍は労働者(大半が朝鮮人)を送り飛行場を建設した。8月5日に完成したが7日に米軍が奇襲をかけて占領し、ヘンダーソン飛行場と改名した(地図上のAir Strip)。米軍の反攻は翌年までないと予想していたため、600名の守備隊しかおらず抵抗の余地もなかった。 以後ガダルカナル島をめぐり日米の攻防が…