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淡谷のり子

(音楽)
あわやのりこ

(1907-1999)
歌手。青森県出身。
母親の勧めで、東洋音楽学校(現・東京音楽大学)に入り、クラシックの基礎を学ぶ。卒業と同時にクラシック歌手の道に進むが、家計を助けるため、流行歌手の道へ進む。
しかし、流行歌手の歌うことが、学校にばれたことから卒業生の名前を削除。さらに、わずか1年の結婚生活という苦い経験を味わった後、1937年「別れのブルース」を発表。これが、戦地で愛唱されたことから一躍、人気歌手になった。
以後、「雨のブルース」などを歌い、「ブルースの女王」と呼ばれるようになった。しかし、本人は、その呼称を好まなかった。
戦後も歌謡界の第一線で活躍。後年は、シャンソンなどを歌った。

ちなみに、ナツメロ番組でその時代のヒット曲を歌った淡谷のり子だが、「ナツメロ歌手」と呼ばれるのを嫌った。また、演歌は貧乏くさいと嫌ったが、森進一と美川憲一だけは評価した。

淡谷のり子を演じた女優

これまで3回ある。
1回目の1979年放送の「じょっぱり」では、片平なぎさが演じた。しかし、淡谷のり子は、片平なぎさを知らず、自分がモデルのドラマを「太地喜和子か桃井かおりにやってほしい」と興味なしの姿勢だった。
その2年後の1981年に太地喜和子がNHKのドラマで淡谷のり子を演じて、容姿と風貌がそっくりで太地喜和子の当たり役になった。
1991年にはテレビ朝日で秋吉久美子が演じた。このドラマの最後では、淡谷のり子が「別れのブルース」を歌った。

ものまね

これまで淡谷のり子のものまねは、数多くあるが、ヒップアップがフジテレビの「ものまね王座」でやっている。中でも、有名なのは、清水アキラの「淡谷のり子」でその「ものまね王座」で本人の前で熱唱。本人は仏頂面になり、終わってからの一言は「胸が悪かった」のみである。清水アキラのものまねを淡谷のり子は、清水アキラの下ネタの多さでお叱りばかりであったが、やはり、このときも不満がってた。その清水アキラの淡谷のり子は、ものまねのレパートリーのひとつになっている。

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