プロ野球、阪急ブレーブスの選手・監督。通称「球界彦左」。
左投左打、ポジションは投手。背番号は30番。
1901年12月10日生まれ。広島県出身。
広島商から神戸商、慶応大学、満州倶楽部で投手として活躍。
1947年、阪急ブレーブスに入団、同年6月より初代監督で選手兼任監督となる。
1950年11月5日、西宮球場での毎日オリオンズ戦で湯浅禎夫と共に先発で登板。48歳10ヶ月での登板は日本記録。
1試合の登板のみ、敗戦投手となっている。
同年、現役引退。48歳での現役は日本プロ野球最年長記録。
1954年、高橋ユニオンズの監督に就任。
1955年、引き続きトンボユニオンズの監督を務めた。同年、退団。
1960年、読売ジャイアンツのコーチに就任。同年、退団。
1963年、国鉄スワローズの監督に就任。同年、退団。
退団後は球界の御意見番として「球界彦左」と呼ばれた。
1978年、野球殿堂入り。
1981年5月6日、逝去。