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浅野内匠頭

(一般)
あさのたくみのかみ

江戸中期の大名。播州赤穂藩浅野家三代藩主。名を長矩(ながのり)という。
寛文7年8月11日(1667年9月28日)〜元禄14年3月14日(1701年4月21日)。
官位は従五位下。官名が内匠頭(たくみのかみ)であるため、浅野内匠頭と呼ばれている。

元禄14年3月14日(1701年4月21日)、江戸城松の廊下で高家・吉良上野介に対し刃傷に及ぶが本懐ならず、即日切腹を言い渡される。上野介に遺恨を持っていたとされるが、遺恨の原因や、犯行当時正常な精神状態であったかについては諸説ある。東山天皇はこの話を聞くと浅野の行動に理解を示したという。浅野が統治していた時代、赤穂の農民に対する重税は苛烈を極め、刃傷事件の結果藩が取り潰された時、庶民は餅をついて祝ったという。

元禄15年12月14日(1703年1月30日)、赤穂藩主席家老・大石内蔵助ら47名が吉良邸に討ち入り、「主君・内匠頭の仇」と彼らが見なしていた吉良を討つ。この事件に脚色を加えたものが「忠臣蔵」として語り継がれる。

2009年に亡くなった女優の大原麗子は子孫にあたる*1

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