津田真道(1829-1903)
明治時代の啓蒙思想家。 美作国津山藩出身。江戸で学び、幕府の蕃書調所に入所後、西周と共にオランダに留学、ライデン大学で学ぶ(1862-6)。 師事したシモン・フィセリングの講義録を邦訳し、『泰西国法論』として出版(1868)。 福沢諭吉、西周らと、明六社の結成に参加した。
amazon:津田真道
2020年に急いで読んだ『日本の国際法学を築いた人々』は再読したいと思っていた。国際法が日本にどのように受け入れられて行ったのか?は現代日本国家形成を理解するのに重要であり、また国際法学がなんであるかを理解するにも重要だからである。 読書メモを綴っていきたい。 まずは著者の一又正雄についての【研究ノート】がある。 大中真、 周圓 「一又正雄の文庫を訪ねて」桜美林論考. 人文研究 巻 10, p. 43-51, 発行日 2019-03-20 1974 年 10 月 26 日に 67 歳で病のため死去した一又はその前年に『日本の国際法学を築いた人々』を出版している。戦中は「大東亜国際法」策定にも…
2024/2/4日曜日 7時半に起床し洗濯。 ベランダでの水やりも済ませたら朝読書。 昨日から榎本武揚に関する本を読み始めている。 フリーメイソンに関する本と交互に。 両方を読んで榎本武揚がオランダに留学しその優秀さと勤勉さからカッテンディーケやポンペに優遇されたのはよーくわかった。 同時に借りているカッテンディーケ著「長崎海軍伝習所の日々」に於いても「榎本釜次郎(武揚)のごとき、その先祖において重い役割を演じていたような家柄の人が、二年来一介の火夫、鍛冶工及び機関部員として働いているがごときは、まさに当人の優れたる品性と、絶大なる熱心を物語る証左である。これは何よりもこの純真にして快活なる一…
朝ごはん( ^ω^ ) pic.twitter.com/JNraUY6Eyp — たかの朱美 (@gohan_takano) 2023年11月23日 晩ごはん( ^ω^ ) pic.twitter.com/6DdcUvIhgs — たかの朱美 (@gohan_takano) 2023年11月24日 富有柿( ^ω^ ) pic.twitter.com/FRiPElxva6 — たかの朱美 (@gohan_takano) 2023年11月24日 ミーちゃんまた肌荒れ#熱海MuddyCat #熱海 #BAR #猫 pic.twitter.com/qNUOnVXJU0 — 熱海 Muddy Cat …
朝ごはん( ^ω^ ) pic.twitter.com/Tc5psmoJto — たかの朱美 (@gohan_takano) 2023年11月21日 昼ごはん( ^ω^ ) pic.twitter.com/TZtL4VnkHk — たかの朱美 (@gohan_takano) 2023年11月22日 食後にふじりんご🍎 pic.twitter.com/K8XZJCF9gv — たかの朱美 (@gohan_takano) 2023年11月22日 晩ごはん( ^ω^ ) pic.twitter.com/tiP5e0oGrM — たかの朱美 (@gohan_takano) 2023年11月22日 チョ…
朝ごはん( ^ω^ ) pic.twitter.com/kvdF5lgajM — たかの朱美 (@gohan_takano) 2023年11月17日 昼ごはん( ^ω^ ) pic.twitter.com/ExFvRWWPdp — たかの朱美 (@gohan_takano) 2023年11月18日 近所の道の駅からお山を望む。雪が積もってる山から轟々と風が来るので寒いです。今季初ダウン着た。 pic.twitter.com/AcI9U1A8q3 — たかの朱美 (@gohan_takano) 2023年11月18日 栗どら焼きとカフェオレ( ^ω^ ) pic.twitter.com/cg3O…
簿記を学習している方に向けて書きました。 はじめに 簿記の語源とは? オランダ語のBoekhoudenの翻訳として最初に「簿記」が登場したのは1874年 福沢諭吉はbookkeepingを簿記とは訳さなかった bookkeeping→ブッキー→ブキ→ボキではない はじめに 『会計学の誕生』という本があります。 会計学の誕生――複式簿記が変えた世界 (岩波新書) posted with ヨメレバ 渡邉 泉 岩波書店 2017-11-22 Kindle 本書によれば簿記の起源は13世紀初頭のイタリアにあるとのことです(簿記と言っても複式簿記の誕生にまつわる話が本書前半の中心なので、この記事では複式…
19世紀日本。 限界を迎えつつあった江戸幕府は、寺内護久や二宮尊徳、小栗忠順といった「改革者」たちによって、何とかその命脈を保とうともがいてはいたが、やがて1875年、平岡宗悦や津田真道を中心とした「公議派」たちの手により、ついにその息の根を止められてしまう。 新たに総裁となった平岡は改革を進め、その一環として行われた選挙制度改革により、国民は全面的に政治に関われるようになる。 そして1878年に行われた第一回衆議院選挙によって立憲政友会が過半数の議席を獲得。 この結果を受けて成立した浜崎内閣の下、日本は産業の急速な発展と経済の伸長を経験していくこととなる。 だが、これは多くのブルジョワジーの…
山陰本線・惣郷川橋梁 ◎松陰神社を巡って 松陰神社の大鳥居 私が萩を訪れる最大の理由は「松陰神社」に出掛けることだ。時間が無くて萩城や萩城下町を歩くことは省略しても、この松陰神社だけは必ず立ち寄る。もっとも、ここでも参拝はしないのだが。 松陰先生(1830~59年)と私とは価値観がまったく異なる。正反対であるといっても過言ではない。共通点があるとすれば、陽明学左派の「李卓吾」の思想に共感したこと、短期間ではあるが「教育者」であったことか。しかし、松陰先生は優れた人材を育てたが、私はほぼ誰にも影響を与えていない点は、やはり正反対の存在だと言えるだろう。 それでも松陰先生を尊崇するのは、その生き様…
19世紀日本。 2世紀以上にわたり続いてきた徳川家による統治は今まさに終わりを告げようとしていた。 破綻へと向かう財政を持ち直そうと、新たに老中首座に任命された水野忠邦は「天保の改革」と呼ばれる一連の財政再建策を開始。 しかし農民に対しても過酷な年貢率を課したこの改革は、やがてこの国最初の「扇動者」寺内護久を生み出すこととなる。 寺内は幕府の要職についていた農政家・二宮尊徳の協力を得つつ革新的な改革である「地租改正」を実施。 その後も数々の改革を推し進め、日本は次第に近代化の道を進んでいくこととなった。 さらに19世紀半ばになると、ロシアによる南下政策に脅威を感じた彦根藩主・井伊直弼が幕府の実…